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2014年10月30日 (木)

SL現役時代のアーカイブ(美唄鉄道)

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 1972/3 美唄鉄道 美唄 4号

 私にとって北海道の罐で最も印象に残るのは、華やかなC55やC57ではなく炭鉱鉄道の老兵達でした。美唄、幌内、夕張と国鉄、私鉄の炭山の鉄道が大好きでした。この美唄鉄道もEタンク機である4110型が奇跡的に残って活躍し、確か朝と夕方に混合列車がありました。しかしこの写真を撮った二ヶ月後には美唄炭山は閉鎖され、美唄鉄道も廃止されました。

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 1972/3 美唄鉄道 美唄 4122

 庫の中には国鉄払い下げの4122が残念ながら既に火を落とし眠っていました。バルブでなんとか撮りました。

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 1972/3 美唄鉄道 美唄 4号

 夕方の混合列車の発車ですが残念ながら客車が写っていません...中学1年生ですから...

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 1972/3 美唄鉄道 美唄 4号

 Eタンクは独特なプロポーションでした!

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 1972/3 美唄鉄道 美唄 6号

 4110型以外に9600型もいました。国鉄の9600に比べると随分すっきりしてます。

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 1972/3 函館本線 美唄 D51

 函館本線は電化されていましたがこのあたりの貨物はD51が牽いてました。バック運転用にテンダーの前照灯も大きかったです。

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 1972/3 美唄鉄道 美唄

 客車の側面です。三菱鉱業美唄鉄道線が正式名称でした。

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 2007/8/6 美唄炭鉱跡

 そして2007年、北海道好きの親父の影響か娘が北海道の学校を受けることになり、35年ぶりに美唄を訪れ炭鉱跡に行ってきました。かつての鉱山の街は森に戻り、立坑の遺構だけが残っていました。このあたりを4110がセキの入れ替えをしていたのですね。

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 2007/8/6 美唄炭鉱跡

 かつての活気ある鉱山の写真がありました。ちなみに最近の石炭の高騰でこの近くでは露天掘りによって再び石炭を掘っています。

 就職したのは別の会社だったのですが、美唄炭鉱はなんの因果か現在私が働く会社の前身になります。東京っ子の中学1年生にとっては予想もしない運命です。炭鉱好きの中学生が石炭を愛したのも血だったということでしょうか...

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