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2015年1月31日 (土)

あいづライナー近況

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 2013/3/9 磐梯町→更科信号場 狐塚 あいづライナー4号

 予定を変更して国鉄色485系の代走が続いていますが、本日は大雪であいづライナーも3号から運休となりました。また本日日光色の485系がED75に牽かれて郡山工場に向かったという話で、もしかしてもう廃車になってしまうのでしょうか?!こうなると最後に撮ってあげたかった気もしますが、なんせのっぺらぼうでヘッドマークが無いのが悲しかったですね...

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SL現役時代のアーカイブ(筑豊本線(D51)その1)

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 1972/8  筑豊本線 筑前植木-筑前垣生 D5110

 筑豊本線はD50、D60、C55とスポーク車輪の古豪の天下でしたけど、71年あたりからD51、C57が入り始め、あっという間に古豪を淘汰してしまいました。はじめは嫌われものでしたが、蒸気機関車そのものがなくなり筑豊本線の有終の美を飾ってくれました。

 D5110は鳥栖から来て直方に最後まで残った罐で、行橋に保存されています。

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 1972/8  筑豊本線 筑前植木-筑前垣生 D5142

 42号機はもともと東北の罐ですが、早期から直方に来てました。この後南延岡に行って日豊本線で活躍しました。

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 1972/8  筑豊本線 筑前植木-筑前垣生 D51225

 225号機も鳥栖からきた罐で、現在直方に保存されています。

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 1972/8  筑豊本線 筑前植木-筑前垣生 D51225

 この罐は42号機と共にこの年の秋、三重連で鉄道100年記念号を牽いてます。

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 1972/8  筑豊本線 筑前植木-筑前垣生 D51225

 セムはやはりD60が似合いますね。

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 1972/8  筑豊本線 筑前植木-筑前垣生 D51206

 この206号機は出水からきた罐で、最後まで若松に残り、筑豊本線の最終列車を牽いて、佐賀に保存されています。宮崎や鹿児島のC57がほとんど保存されていないのにD51は結構保存されていますね?!

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 1972/8  筑豊本線 筑前植木-筑前垣生 D51545

 この545号機は大畑越えの重装備をした人吉の罐でしたが、集煙装置や重油併燃装置をはずしてわずか半年間ここで活躍しました。

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 1972/8  筑豊本線 直方 D51225

 直方駅でたたずむD51。225号機はやたら写真がありますね。

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 1971/8  筑豊本線 筑前植木-筑前垣生 C5752

 筑豊本線のC57は僅かな期間の活躍で、あまり写真がありません。この52号機は播但線から来た罐で、わずか半年ここで活躍しました。

 九州といえばやはり日豊本線のC57とこの筑豊本線で活躍した多くの罐の印象が強かったです。ろくな写真がありませんが次から次へと罐が走ってきた筑豊本線は忘れません。

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2015年1月30日 (金)

SL現役時代のアーカイブ(伊田線)

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 1971/12 伊田線 直方→中泉 9600+59647

 伊田線は直方から金田を通って伊田までの16kmあまりの短い線区で、石炭、石灰の繁栄期に複線化されていましたが、71年には既に石炭も斜陽でした。それでもまだ伊田線から田川線や後藤寺線に抜ける9600の貨物列車やC11の客車列車が走っていました。

 9600の重連の貨物列車が直方駅を発車していきます。門鉄デフの59647は後藤寺で最後まで残った罐で現在も保存されています。

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 1971/12 伊田線 直方 C11329

 71年にはまだ伊田線にはC11の牽く客車列車が走っていました。329号機はシールドビームをつけ、ずっと広島にいた罐ですが最後この直方で2年ほど活躍しました。

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 1971/12 伊田線 直方 C11341

 直方は筑豊の中心の町として栄えてました。火の見櫓や店の看板も昭和ですね。貨車があるとかならずいるセムフです。筑豊のシーンです。

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 1971/12 伊田線 直方 69613

 直方駅に到着した9600の牽く石炭列車です。69613は珍しく?標準デフをつけた罐で、後藤寺で最後まで残りました。

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 1971/12 伊田線 69642

 中学1年のこの頃は駅撮り中心でしたが、珍しくちょっと歩いて撮ると単機回送でした...69642は門鉄デフでランボードに白線を入れた粋な罐でした。

 写真はショボくても石炭の街筑豊のイメージはあります。

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2015年1月29日 (木)

御礼170万アクセス

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 2015/1/25 中山宿→沼上信号場 鞍手俯瞰 あいづライナー1号

 新春のC61、あいづライナー関連の記事はばんえつ物語以上に沢山のアクセスを頂き、ありがとうございます。またアーカイブシリーズでも沢山のコメントやメールを頂き、懐かしさも倍増です。国鉄色485系は予定を変更して今日も代走してますね。今年の春の会津はいろいろ変化もあり、熱くなりそうです!

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SL現役時代のアーカイブ(筑豊本線(冷水峠)その1)

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 1971/12  筑豊本線 桂川→上穂波? D6062 + D51

 筑豊本線は若松から飯塚までは平坦ですが、飯塚から原田の間には25‰の冷水峠があり、重連も運転されてました。この区間は筑豊本線では真っ先に72年にはほぼ無煙化されてしまいました。現在は日に数本しか列車が走らないローカル区間になっていますが、当時は特急「かもめ」や急行「天草」などの優等列車も走っており、出来たばかりの篠栗線よりも幹線でした。特に「天草」はDD51牽引でしたがこの区間ではD60の後補機がついたので有名でした。

 中学1年の頃はまだほとんど駅撮りでしたが、ここは珍しく少し駅から歩いています。しかし撮影場所が桂川から原田の間で不明です。筑豊本線もこの頃からD51が入ってきて、D60+D51新旧の主役の重連でした。この後すぐに上りでD60+9600の貨物列車が来たのですが写真が見当たりません。D60の最大の見せ場である冷水峠付近で相次ぐ重連を撮影出来て喜んだのだけは記憶にあります!

 D6062号機は久大線から来た罐で、筑豊で1年ほど活躍しました。機関車の後ろはセムなので石炭列車かと思ったら、途中トラやワムもあり一般貨物列車ですね。

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2015年1月28日 (水)

SL現役時代のアーカイブ(宮崎機関区)

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 1972/8 宮崎機関区 C57196

 宮崎駅では日豊本線のほとんどの客車、貨物列車が罐の交換をし、機関区がありました。4次型門鉄デフの196号機は大きなナンバーが目立つ罐でした。

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 1972/8 宮崎機関区 C57112

 112号機は長崎時代につけた門鉄デフが美しい罐でした。キハ55系も今や懐かしいですね。

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 1972/8 宮崎機関区 C57117 89 174

 宮崎駅ではホームから機関庫を見ることができました。C57、C56、C61、そして日南線のC11も顔を出し、大好きなC型機関車の宝庫でした。しかしなぜかここの罐はあまり保存されず解体の運命をたどっています。

 117号機は美しい門鉄デフの罐で、この半年後最後のSLお召列車を牽引するのですが保存されませんでした。89号機は梅小路から来た罐で原型でした。174号機は佐世保線のさよなら列車を牽いて宮崎で半年間活躍しました。
 駅構内の入換で20系客車を牽くC56も撮ったのですが、写真が見当たりません。

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2015年1月27日 (火)

(644)中山宿のカーブ(中山宿→磐梯熱海)

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あいづライナー撮影地ガイド(磐越西線電化区間)

 中山宿駅東側は上り列車は下り20‰ですが、カーブで編成をいれて撮ることができます。このあたりは意外に編成をいれて撮れる場所が少なく、アウト、インから撮ることができます。光線は午前中が良いです。

 このポイントは駅から線路沿いに直接行けないので、一旦旧道に出て熊野神社から線路方向に入り、ガード(カーブ手前の2本の棒の場所)で線路をくぐります。尚、熊野神社から先は除雪されません。

 車は旧道の神社付近に1、2台は置けます。

【冬】

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 2015/1/25 あいづライナー2号

 カーブを曲がってやってきました。

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 2015/1/25 あいづライナー2号

 このあたりがベストポイントでしょうか?

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 2015/1/25 あいづライナー2号

 色彩の乏しいこの季節、国鉄特急色は映えます。

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 2015/1/25 あいづライナー2号

 軌道に雪が少ないのが残念でした。

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 2015/1/25 あいづライナー2号

 「あいづ」のヘッドマークが良いですね。

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 2015/1/25 

 やはり国鉄特急色の色彩が似合いますね!

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 2015/1/25 

 クマザサの茂る斜面のちょっと上から撮ってみました。架線柱が入りますが好みが分かれるところです。

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 2015/1/25 

 この熊野神社がポイントに行く道の入口になります。

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 2015/1/25 

 美しい熊野神社です。まずはお祈りを!

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2015年1月26日 (月)

国鉄色あいづライナー(2015/1/25その2)

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 2015/1/25 磐梯町→更科信号場 滝の原 あいづライナー4号

 午後からは磐梯山が晴れてきたのですが、頂上だけなかなか雲が抜けません。あちこち場所を移動したのですが、結局滝の原に賭けました!ここは磐梯山を期待して40名ぐらいのファンが集まり、JRの警備まで出動していました。時々頂上まで晴れるのですがまた雲がかかり冷や冷やしてましたが、本番にはなんとか頂上が雲の中に見え、この時期としては上出来のシーンになりました。やはり私は猪苗代側よりこちら側のスキー場のない磐梯山が好きです!

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 2015/1/25 磐梯町→更科信号場 滝の原 あいづライナー4号

 僅か3年ですが会津に暮らした人間にとって磐梯山は特別な山です!

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 2015/1/25 磐梯町→更科信号場 滝の原 あいづライナー4号

 国鉄色あいづライナーもピカピカなので綺麗なシーンになりました。

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 2015/1/25 磐梯町→更科信号場 滝の原 あいづライナー4号

 3月改正以降は休日に快速「あいづ」として運転されることになりましたが、いつまでも走ってほしいものです。

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 2015/1/25 川桁→猪苗代 富永

 最後の3号は安達太良山バックの富永で待ちました。

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 2015/1/25 川桁→猪苗代 富永 あいづライナー3号

 平らな雪原と安達太良山の連山が美しい場所です。

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 2015/1/25 川桁→猪苗代 富永 あいづライナー3号

 もしかしてこれが最後の「あいづライナー」のシーンになるかもしれません。3月のダイヤ改正後快速「あいづ」としての活躍を期待します!

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2015年1月25日 (日)

国鉄色あいづライナー(2015/1/25その1)

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 2015/1/25 中山宿→磐梯熱海 中山宿のカーブ あいづライナー2号

 今日は午後から晴れ間もありそうなので久しぶりに磐越西線にやってきました。しかし猪苗代方面は雪雲がかかっており、磐梯山を諦め中山宿のカーブで撮ってみました。何気ない景色ですがちょっとした雪と国鉄特急色で満足です。

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 2015/1/25 中山宿→沼上信号場 鞍手俯瞰 あいづライナー1号

 晴れ間も出てきたので1号は中山トンネル先の俯瞰場所から撮ってみました。トンネルを出て築堤をくるまでいろんなカットが出来て面白い場所ですね。

 午後になって磐梯山も頂上以外顔を出しました。4号が楽しみです。

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SL現役時代のアーカイブ(鹿児島機関区)

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 1972/7/31 鹿児島機関区 C57127 C12287

 確か日豊本線3重連の日に鹿児島機関区を訪れました。71年ごろまでは鹿児島本線のC60やC61など多くの罐が配属されてました。訪れた時は美しい門鉄デフで形式入りナンバーだったC5721号機も既に廃車されていました。それでも最南端の機関区にはC57、C50、C12、8620とC型機が10両近く配置されてました。

 C57127号機は梅小路にいて山陰本線の最終列車を牽いた罐で、原型に近く綺麗な姿でした。C12287号機は鹿児島に長くいた罐で、機関区の入換や日本最南端の指宿枕崎線で貨物を牽いてました。その後、南延岡に転属し現在は千葉県小櫃に保管されています。確かC12がいるところが石炭をセムから落とす場所で、大きなコンベアーで給炭台に運びあげていました。さすが幹線の機関区です。

 当時はどこに行っても機関区を訪れるのが楽しみでした。もちろん立ち入り禁止ではありませんでした!

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2015年1月24日 (土)

SL現役時代のアーカイブ(筑豊本線(D60)その1)

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 1972/8  筑豊本線 筑前植木-筑前垣生 D6022

 筑豊本線の魅力はC55とこの古武士D60でした。D50で書いたように筑前垣生付近がポイントで、複線を客車に石炭列車に次々とやってきました。22号機は美しい化粧煙突で綺麗な罐でしたが結局解体されました。

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 1971/12  筑豊本線 筑前植木-筑前垣生 D6022

 D60はやはりセムを連ねる石炭列車が一番似合いますね。

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 1971/12  筑豊本線 筑前植木-筑前垣生 D6062

 当時はまだD51も少なくD60の天下でした。

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 1971/12  筑豊本線 筑前植木-筑前垣生 D6022

 複線を次から次へとやってきました。

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 1971/12 筑豊本線 筑前植木-筑前垣生 D6032

 隅をカットした形のデフで印象が違います。

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 1972/8  筑豊本線 筑前植木-筑前垣生 D6022

 22号機の写真がやたら多いですね。単機回送が一番煙が出てます?!

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 1972/8  筑豊本線 筑前植木-筑前垣生 D6061

 不鮮明な写真ですが貴重な門鉄デフの61号機です。もともと久大線で活躍していた罐で、筑豊にきて最後まで残って、現在も遠賀川の河口近くで綺麗になって保管されています。スポーク動輪が綺麗に写ってる写真がありません...

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2015年1月23日 (金)

磐越西線の春が楽しみに!

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 2011/10/30 安子ヶ島→磐梯熱海 SL郡山会津路

 JR東に続いて仙台支社新潟支社からも発表がありました。

 あいづライナーは数ヶ月は週末を中心に485系で快速「あいづ」として運転です。485系は国鉄特急色の485系に決めつけていいのかな?!

 ばんえつ物語へのC57180の復帰は7月18日ということで、まぁこうなったらゆっくり直して完治してもらいましょう?!C61は補機なしで走るのでしょうか?!試運転も何日かやるでしょうから気になりますね。桜の季節です。

 なんといってもニュースは快速「SL福が満開ふくしま号」ですね。磐越西線の郡山口でのSLの運転は2011年以来です。今回は更に久しぶりのD51+旧客ということで4月の18,19日も楽しみです。D51ですからDLの補機もないでしょう!従来とスジが違って郡山発着です。

 ひな街道は残念ながらDLでした。この春はDE10も大活躍ですが...

 磐越西線は4月の中旬から5月末まで忙しくなりそうですね!6月は反動で何もないですが...

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SL現役時代のアーカイブ(日豊本線(南延岡~宮崎)その1)

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 1973/12  日豊本線 高鍋駅 C57130

 

 日豊本線の南延岡―宮崎間はあまり人気がありませんでしたが、71年夏に東北からC61が来たので一躍脚光を浴びました。74年春の幸崎―南宮崎間電化を前にして既に架線も張られているなか、C57が最後の活躍をしていました。この区間はずっとC57だったのですが、C61が入ったり、D51が入ったりもしましたがやはり最後はC57でした。

 

 130号機は新潟時代に長工デフをつかた罐で、日豊本線のこの区間のサヨナラ列車を牽いています。そしてなんと旭川に転属し、半年ちょっと宗谷本線で活躍するという、全国を駆け巡った罐です。宗谷本線の冬にこのキャブでは寒かったでしょうね...

 

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 1973/12  日豊本線 佐土原駅 C579

 

 一方9号機は美しい門鉄デフの1次型です。この区間は貨物の運用が多かったです。

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 1973/12  日豊本線 高鍋―川南 小丸川橋りょう C57196

 

 こちらの196号機は4次型で門鉄デフの形もこれまた違います。

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 1973/12  日豊本線 高鍋―川南 小丸川橋りょう C57196

 

 この区間は幹線で貨物列車も長いです。小丸川に煙が写りました。

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 1971/12  日豊本線 佐土原 C6124

 

 何故かC61はまともな写真が残っていません。私は最後のハドソンをあまり好んでいなかったようです。この24号機は青森から来てわずか半年の活躍で休車になってしまいました。南国の地があわなかったのでしょうか?ここを走っていた20号機はこの5月に磐越西線でたっぷり楽しませていただきますが...

 

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2015年1月22日 (木)

C61ばんえつ物語運転発表

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 2014/12/6 水郡線 常陸大宮→玉川村 SL奥久慈清流ライン号

 発売の時刻表にC61ばんえつ物語が載っています。4月と6月はDE10で5月がC61牽引です。それでも10日間の運転で、もしかすると桜も残るかもしれないので贅沢は言ってはいけないですね?!昨年までの時間より新津を10分ほど早く出て会津若松に着く時間は同じです。ダイヤ改正の影響でしょうか?!C57180の復活は7月からのようです。4月が暇になりそうですが...

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SL現役時代のアーカイブ(後藤寺線その1)

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 1972/8 後藤寺線 船尾-後藤寺 9600 + 9600

 後藤寺線といえば撮影地は船尾―後藤寺間の中元寺川鉄橋でした。船尾にはセメント会社がいくつかあり石灰石を運んでいました。この区間は船尾→後藤寺の下りはバックでほとんどが重連もしくは後補機付で運転され、補機は上りは単機回送で、次から次へと9600の牽くセキやセムがきて楽しませてくれました。

 重連回送とバックの切り絵のような山が面白いです。

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 1972/8 後藤寺線 船尾-後藤寺 9600 + 9600

 後藤寺線はデフ無しの9600が多かったです。バック運転には似合いますね。

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 1972/8 後藤寺線 船尾-後藤寺 9600 + 9600

 北九州も当時は既に石炭より石灰石輸送が中心でした。セフは300両以上も作られた北九州専用の車掌室付きの石炭車です。

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 1972/8 後藤寺線 船尾-後藤寺 79600

 これは後補機です。

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 1972/8 後藤寺線 船尾-後藤寺 9600

 セムにもいろいろあったようですね。丸いマークは元総理大臣が社長だったA社のマークです。

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 1972/8 後藤寺線 船尾-後藤寺 59679

 デフ付きもいたようですがここはデフ無しが似合いますね。この59679はテンダーのみ形式入りナンバープレートでした。

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 1972/8 後藤寺線? 59647

 行橋の59647の牽く客車列車ですが、当時は田川線の1往復しか9600の牽く客車列車はなかったはずですが後藤寺線の写真と一緒にありました??

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2015年1月21日 (水)

SL現役時代のアーカイブ(日豊本線(都城~西鹿児島)その1)

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 1973/12 日豊本線 国分→霧島神宮 C57

 日豊本線も都城から隼人の間は列車本数が少なく、冬季に上りで撮影可能なC57の牽引列車は夕方の僅か1本の貨物だけでした。しかし国分と霧島神宮の間には「霧島越え」と言われる岩山の中の25‰の峠があり人気でした。バックには桜島も見える場所でしたが、隼人から5~6km歩いてきたのでしょうか?!1日1本だけの撮影ですが、僅か6両の貨物でも夕陽を浴びて爆煙で来た姿は忘れられません。

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 1972/7/31 日豊本線 国分→霧島神宮 C612+C57199+C5557

 日豊本線開業100周年記念で鹿児島―都城で3重連が走りました。真夏の暑い日でしたがすごい人だったのだけは覚えています。正面向きの写真は行方不明のメインのアルバムです...現役時代私が唯一撮った3重連です。

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2015年1月20日 (火)

SL現役時代のアーカイブ(日豊本線(宮崎~都城)その1)

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 1973/12  日豊本線 日向沓掛―田野 C57199

 私にとって日豊本線は=C57で一番好きな線区のひとつでした。特に宮崎にはカッコイイ4次型のC57が4両配置されてました。宮崎―都城間はC57の独断場で青井岳など有名な撮影地がいくつかありましたが、なぜかいつも日向沓掛―田野に行ってました。

 199号機は典型的な4次型で、C59に近いスタイルでした。

 当時からC57は一番好きな罐で、「ばんえつ物語」のC57180で血が騒ぎはじめたは当然だったかもしれませんね?!

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 1971/12  日豊本線 日向沓掛―田野 C57191

 冬枯れの日向路を行くC57です。191号機は宮崎から鹿児島に転属した罐です。191、192、196、199号機と4両の4次型がいたのですが1両も保存されなかったのは不思議というか残念ですね。

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 1973/12  日豊本線 日向沓掛―田野 急行日南3号 C57192

 最後の蒸気機関車牽引の定期急行であった「日南3号」です。2、3両目にオロ11をつなぐ豪華編成でした。当時は宮崎、日南といえば新婚旅行のメッカで、急行「ことぶき」という京都発宮崎行のオールA寝台+グリーン車の臨時列車があったぐらいです。当時中学生ながら将来の新婚旅行は「ことぶき」に決めてましたが...

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 1973/12  日豊本線 日向沓掛―田野 C579

 この区間は貨物列車もC57でした。9号機はもともと長崎本線や肥薩線で活躍した罐で、73年の夏から宮崎に来て1年足らずですが最後の活躍をしました。美しい門鉄デフの罐でしたが保存されませんでした。

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 1973/8  日豊本線 日向沓掛―田野 高千穂51号 C5765

 思いもかけずC57が牽いてきたお盆の臨時列車「高千穂51号」です。グリーン車をいれたくてこんな写真になってしまいました?!牽引機は門司港時代特急「かもめ」専用機だったという65号機です。この罐も有名でしたけど保存されていません。

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 1973/8  日豊本線 日向沓掛―田野 C57109

 真夏の客車列車は結構窓から肘が出てますね。109号機も美しい門鉄デフですが保存されませんでした。

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2015年1月19日 (月)

SL現役時代のアーカイブ(室木線)

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 1971/12  室木線 古月駅? 38634

 室木線はかつては石炭輸送もあったようですが1970年代には既に炭鉱はなく、田園地帯を走るローカル線でした。5往復の客車列車と夜間の1往復の貨物列車を若松の8620が牽いてました。若松の8620は余分なものを付けずにすっきりとした形態でした。

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 1972/12  室木線 88622

 室木線の8620は昼に客車と共に遠賀川から若松まで回送で走り、次の運用の罐が帰ってくるという運用でした。この88622はなんと鉄道のない島である壱岐に保管されています。

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 1972/12  室木線 38629

 上の2枚の写真は客車4両ですが、室木線のイメージはこの写真のように客車2両のバック運転ののんびりムードです。4両だと亜幹線イメージで、2両だとローカル線イメージですね。この38629はテンダーには形式入りナンバープレートを付けていました。テンダーだけ形式入りという罐は結構いましたが何故でしょうか?テンダーのプレートは外しにくかったとかでしょうか?

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2015年1月18日 (日)

国鉄特急色485系会津若松到着

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 2015/1/18 23:25 ふくしまの窓から「JR会津若松駅」より

 明日からあいづライナーを代走する国鉄特急色485系が会津若松に到着したのをライブカメラで確認しました。ただ今週は天気がもうひとつで青空バックの磐梯山は難しいかもしれませんね...

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信越本線(2015/1/18黒姫)

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 2015/1/17 信越本線 黒姫→古間 18号線オーバクロス 妙高号

 

 今日の信濃町は昨日の大雪が嘘のような晴天になりました。お昼の買い物はいけませんでしたが帰りがけにいつもの18号線オーバークロスに寄りました。冬の夕暮れは早く16時前ですが森の影が伸びて黒姫山もシルエットになってきますが、列車の側面に日が当たりました。寒々とした冬の夕方の雰囲気はあると思います。

 

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 2015/1/17 信越本線 黒姫→古間 18号線オーバクロス 妙高号

 

 築堤の上ですがちょっと雪の壁ができてて下まわりが隠れてしまいました。

 

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 2015/1/17 信越本線 古間→黒姫 18号線オーバクロス

 

 雪面に近づいて撮ってみましたが、森の影が多すぎました...

 

 この時期、長野や斑尾山方面は抜けるような青空になるのですが、黒姫山、妙高山方面はなかなか雲が切れません。

 

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SL現役時代のアーカイブ(志布志線)

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 1973/12 志布志線 C58112

 九州では意外にC58は少数派で、豊肥本線の大分口が無煙化された後は、南国の志布志線の貨物列車だけを牽引していました。日豊本線のC57が人気だっただけに志布志線は影が薄かったですが、全国でも形態の変化の少なかったC58ですが、ここのC58はいろんなデフの罐がいて面白かったです。しかし撮影地は全く記憶に残っておらず、志布志線は1987年に廃止されていましました。

 112号機は変形の門鉄デフで、豊肥本線ではお召列車も牽いたことがある罐で、現在も綺麗な姿で志布志に保管されています。

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 1973/12 志布志線 安楽 C58277

 安楽の鉄橋は有名な撮影地でした。277号機は綺麗な門鉄デフの罐で、かつてはお召列車の予備機を務めたり、志布志線のさよなら列車を牽いて、現在は小林市に保管されています。

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 1973/12 志布志線 安楽 C58112

 C58はあまり形態の変化がないですが、私はこの軽快な112号機が一番好きです!

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2015年1月17日 (土)

信越本線(2015/1/17黒姫)

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 2015/1/17 信越本線 黒姫→古間 講和橋 妙高号

 

 今日の信濃町は午後から晴れの予報だったのですが、1日雪となりました。例によってお昼の買い物ついでに講和橋から撮ってみました。妙高号の時だけラッキーに雪が小降りになって、ひげをはやした189系を撮ることができました。

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 2015/1/17 信越本線 黒姫→古間 講和橋 妙高号

 

 ここ信濃町でも積雪が120cmを越えました。ここ数年100cmを越えたことはなかったと思います。鳥居川の橋に積もる雪だけでも今年の雪の多さがわかります。

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 2015/1/17 信越本線 黒姫→古間 講和橋 妙高号

 

 反対側に走って雪を蹴散らして走る姿です。やはりかつての特急ですね。

 

 

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 2015/1/17 信越本線 古間→黒姫 講和橋  

 

 黒姫交換の普通電車の時はまだ降ってました。吹雪の列車も風情がありますね。

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 2015/1/17 信越本線 豊野→牟礼 北信五岳道路俯瞰 妙高号

 

 お昼前の妙高を撮って買い物が終わると雪がやんできたので、一度撮りたかった北信五岳道路からの俯瞰の場所に足を伸ばしました。このあたりは黒姫と違いあまり雪が積もらない場所なので雪景色の俯瞰はそうは撮れません。

 

 左手に北陸新幹線の高架と千曲川が見えます。もう2ヵ月足らずで新幹線が走るのですね。引き換えにこの妙高号は廃止され、信越本線もしなの鉄道になります。

 

 雪はやんで日も当たりはじめたのですが、妙高号が来る直前に急に雲行きが怪しくなってきました。

 

 

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 2015/1/17 信越本線 豊野→牟礼 北信五岳道路俯瞰 妙高号

 

 本命の俯瞰場所です。上の写真のちょっと先なのですが、急に吹雪になって視界が悪くなって没になりました。天気だけには勝てないですね。長いお昼の買い物になりました?!またリベンジします!

 

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SL現役時代のアーカイブ(山野線)

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 1973/12 吉松 C56111

 山野線は水俣から栗野の路線で、途中33‰の急勾配のループ線もありましたが、SLは普段は走らない区間でした。罐は吉松のC56やC12が活躍していましたが、無煙化後1988年に廃止されました。

 このC56111は飯山線のサヨナラ列車を牽いた罐で、長野時代はごついツララ切りを付けてましたが、形式入りナンバープレートでした。確か吉松時代は形式入りではなかったのですが、保管時には形式入りに戻っています!?吉松にきてお召牽引の予備機として整備されたので余分なものはとって綺麗にしたのでしょう。1年間ほど吉松で活躍後、廃車されてからは宝塚の学校で保管されていますが、今にも走れそうな状態なので、いつか古巣の飯山線でそんな日が来てくれないかなぁ...と淡い夢をくれる罐です?!

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2015年1月16日 (金)

SL現役時代のアーカイブ(高森線)

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 1972/12 高森線

 高森線(現在の南阿蘇鉄道)はC12の牽く混合列車が走り、白川の橋りょうや阿蘇の麓の田園地帯を走る姿に人気がありました。夜行を熊本で降り、豊肥本線の1番列車で立野まで来て、3回訪れています。C12の牽く列車は4往復あり、朝夕は熊本までの直通で客車4両、昼間の1往復が混合列車でした。

 高森行はバック運転でした。貨物1両をはさんだ混合列車です。藁ぶき屋根の農家が懐かしいです。

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 1973/12 高森線

 冬の田んぼの隅には稲藁が積み上げてあります。貨車1両と客車2両ぐらいの混合列車が一番ローカルっぽくて良いですね。

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 1973/12 高森線 長陽→立野 白川第一橋りょう

 白川第一橋りょうは高さ62mで現在日本で一番高い橋りょうです。白川には当時一軒家の温泉宿がありそこから見上げて撮ることができました。

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 1973/8 高森線 立野→長陽 立野橋りょう

 立野駅を発車するとすぐに立野橋りょうを渡りました。この橋りょうも高いトレッスル橋脚を持ち雄大です。

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 1973/8 高森線 長陽→立野 白川第一橋りょう

 真夏の白川第一橋りょうです。

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2015年1月15日 (木)

国鉄色485系あいづライナー代走予定

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 2013/1/5 翁島→更科信号場 布藤 あいづライナー1号

 1月19日から28日まで国鉄色485系のあいづライナー代走が発表されました。もしかして最後の代走になるのでしょうか?今年は日本海側は積雪は多いですが、猪苗代あたりは例年より雪は少なめです。来週末の天気が良ければ是非行きたいと思います。青空バックの磐梯山を期待して!

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SL現役時代のアーカイブ(田川線)

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 1972/12 田川線 内田信号場→油須原 29612 ==== 9600

 田川線(現在の平成筑豊鉄道田川線)は筑豊の石炭を苅田港に運搬するための路線でしたが1970年代には石炭は既に減り石灰石を運んでいました。途中の油須原には峠があり長い貨物列車は後補機をつけてました。ここはそんなに列車数は多くなく昼間は2本ぐらいしか撮影できませんでした。

 9600が後補機をつけてセキを牽いてきます。車掌車がワフとかヨでなくセムフを付けて、少しでも多く石灰石を運ぼうとしてますね!

 この29612は昨年保存されていた公園が整備されるので解体になるところをファンの呼びかけで命拾いして、豊後森の扇形機関庫に運ばれるラッキーな罐です。

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 1972/12 田川線 内田信号場→油須原 29612 ==== 9600

 後補機も全力で押してます。

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 1972/12 田川線 内田信号場→油須原 9600 ==== 9600

 こちらはセムなので石炭輸送でしょうか?

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 1972/8 田川線 内田信号場→油須原 9600 + 9600 ====  9600

 なんと重連そして後補機の3両の9600でやってきましたが、お立ち台でなかったために後補機は入らず煙だけが写っています...

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 1972/8 田川線 内田信号場→油須原 59684

 最後まで行橋区に残り、さよなら列車を牽いた罐です。ナンバープレートが高い位置にあってちょっと間が抜けた顔ですね。現在は石炭歴史博物館に保管されています。確かに9600=石炭ですね。

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 1972/12 田川線 行橋駅 69615

 田川線には朝の通勤時に日豊本線に直通して門司港まで行く客車列車があり、9600が牽いてました。九州でも9600の牽く客車列車はここと豊肥本線ぐらいでした。九州の12月の朝7時はまだ薄暗く、バルブで撮影したはずです。なぜか客車列車は標準デフの罐が牽いてますね。確かに長い客車をデフなしは似合わないです。

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2015年1月14日 (水)

SL現役時代のアーカイブ(吉都線)

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 1973/12 吉都線 都城駅 D511038

 人吉の大畑越えのD51は超重装備でしたが、吉松の吉都線のD51は対照的にスッキリで門鉄デフ装備もいました。この1038号機は戦時設計のカマボコドームに門鉄デフで独特のシルエットの罐でした。吉都線は専門に撮ったことはなかったですが、日豊本線や志布志線を撮影した後、都城から出発する客車列車の夜景を撮りました。

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 1973/12 吉都線 都城駅 D511038

 中学生にしては今の私よりよっぽど上手に撮れてます?!舞い上がる.蒸気とか低い感度でバルブで撮ったほうが面白いですね!この罐はキャブのナンバープレートの取り付け位置も独特でした。生涯九州で活躍した罐でしたが動輪だけ保存されています。当時は切り売りのコダックのトライXを使っていました。フィルム時代はずっとコダックを崇拝してましたが、まさかコダックがなくなるなんて夢にも思いませんでした。

 吉都線、肥薩線の吉松はいろんな罐がいましたが、九州で一番奥まったところにあり、夜行列車で入りにくい場所なのであまり訪れることはありませんでした。

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2015年1月13日 (火)

SL現役時代のアーカイブ(筑豊本線(C55)その1)

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 1971/12  筑豊本線 直方駅 C5552

 九州で一番印象に残る罐はC5552と57号機です。52号機はちょっと重たい門鉄デフでしたが落ち着いていてとても好きな罐でした。牽引する客車は10系で急行のサボがついていますが、たぶん急行ではなく、合間運用で筑豊本線の普通列車で使われていた客車だと思います。駅撮りですが急行用客車を牽いてドレインをはいて失踪する姿はカッコいいです!

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 1971/12  筑豊本線 直方駅 C5557

 もう一方の57号機も美しいスポーク動輪を輝かし、惚れ惚れするスタイルです。その後この2両のC55はもともといた吉松に戻り活躍しましたが、最終的にこの美しい57号機は保存もされずに解体になったのはとても残念です。

 筑豊本線ではC55の走行写真を何枚か撮ったはずですが見当たりません。この直方駅で撮った2枚の写真は私の宝物です!

 筑豊の写真はどこでもセムやセフが映り込んでいます。九州の石炭輸送専門だった二軸貨車です。石炭の町の中心であった直方駅で目まぐるしく動き回る罐達を半日ボケッと見て過ごしたのは至福幸な時間でした!

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2015年1月12日 (月)

上越線SL新春レトロみなかみ(2015/1/11上り)

 人も罐も充填されていよいよ上りの出発です。


今日の一枚

 

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 2015/1/11 上越線 水上→上牧 水上駅発車

 

 雪景色の中、C61は力強く発車して行きました。


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 2015/1/11 上越線 水上→上牧 水上駅発車

 

 おいでちゃんのお見送りでいよいよ発車です。

 

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 2015/1/11 上越線 水上→上牧 水上駅発車

 

 発車の汽笛が山間に響きます。

 

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 2015/1/11 上越線 水上→上牧 水上駅発車

 

 架線柱とビームは勉強不足で今後の課題ですね...

 

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 2015/1/11 上越線 水上→上牧 水上駅発車

 

 やはり雪とSLと煙の組み合わせは最高です。

 

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 2015/1/11 上越線 水上→上牧 水上駅発車

 

 ヘッドマークの色も似あっています。

 

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 2015/1/11 上越線 水上→上牧 水上駅発車

 

 真横あたりからドレインがすごくてなにも見えなくなりました!

 

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 2015/1/11 上越線 水上→上牧 水上駅発車

 

 スハフ32のテールランプは哀愁があります。

 

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 2015/1/11 上越線 沼田→岩本 沼田駅発車

 

 水上の後は高速で沼田に向かい沼田駅発車を撮りました。順光側でギラリ狙いか、山を入れて撮るか悩みましたが、山にしてみました。ちょっと架線柱がうるさかったですね。

 

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 2015/1/11 上越線 沼田→岩本 沼田駅発車

 

 それでも素晴らしい煙とドレインで満足でした。

 

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 2015/1/11 上越線 沼田→岩本 沼田駅発車

 

 オハニ36を従えて幹線機の貫録十分ですね。

 

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 2015/1/11 上越線 新前橋→井野 新前橋駅発車

 

 沼田の後は再び高速で渋川方面に向かったのですが、道を間違えたり高速が渋滞して、結局最後は新前橋駅発車となりました。しかし既にかなり暗く、しかも金網越しになってしまい、やけくその金網越し流しをしてなんとか撮っただけの写真になりました。

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 2015/1/11 上越線 新前橋→井野 新前橋駅発車

 

 それでもなんとかナンバープレートとヘッドマークだけは写りました。C61らしいと無理やり納得してます?!

 

 今回ははじめての上越線で上りは発車シーンだけになりましたが、3様のシーンで楽しめました。架線下のSLは撮りなれていないので勉強不足でしたが、2015年の初撮りは満足でした。さて次はどこで雪景色が撮れるでしょうか?!

 

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上越線SL新春レトロみなかみ(2015/1/11水上駅)

 水上駅では3時間の休息があり、人も罐もゆっくりできます。水上駅発車は大盛況で、100人以上のファンが待ちました。


今日の一枚

 

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 2015/1/11 上越線 水上駅

 

 駅構内でも雪が積もると余分なものがなくなり予期せぬシーンが撮れるものです。しかし電線だけはなくなりませんね...

 

 


 

 

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 2015/1/11 上越線 水上駅

 

 水上駅発車も満員御礼でC61の入換を待ちます。まずは東海色。

 

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 2015/1/11 上越線 水上駅

 

 やまどりが回送でやってきました。

 

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 2015/1/11 上越線 水上駅

 

 これはちょっと馴染めないですね。

 

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 2015/1/11 上越線 水上駅

 

 一番線があいて湯檜曽方面から単機できました。

 

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 2015/1/11 上越線 水上駅

 

 一旦上牧方面に通り過ぎてバックで客車に向かいます。

 

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 2015/1/11 上越線 水上駅

 

 バックの単機をプチ流し。

 

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 2015/1/11 上越線 水上駅

 

 目の前を通過。

 

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 2015/1/11 上越線 水上駅

 

 客車が待つホームに着きました。

 

 駅構内といえど雪景色は余分なものを隠してくれるから楽しいですね!

 

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2015年1月11日 (日)

上越線SL新春レトロみなかみ(2015/1/11下り)

 2015年の初撮りははじめての上越線です。C61+旧客そして雪景色ときたら行くしかないですね!今回は上越のベテランのYさんに道案内をお願いし、Nさんと3人で私は運転手でした。しかし関越自動車道はスキー客の混雑と事故で大渋滞で、予定の倍以上の時間がかかりロケハンもできなかったので、目的の雪景色に絞って諏訪峡に向かいました。

 


今日の一枚

 

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 2015/1/11 上越線 上牧→水上 諏訪峡

 

 諏訪峡大橋のお立ち台には100名以上のファンが並びました。ここはいろんな撮り方ができますが難しい場所ですね。よい煙で初撮りに相応しい雪景色のシーンでした。


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 2015/1/11 上越線 上牧→水上 諏訪峡

 

 まずは練習の各駅停車です。東海色も貴重になってきました。

 

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 2015/1/11 上越線 上牧→水上 諏訪峡

 

 振り返って谷川岳をバックです。

 

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 2015/1/11 上越線 上牧→水上 諏訪峡

 

 いよいよ本番です。素晴らしい煙をたなびかせてやってきました。

 

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 2015/1/11 上越線 上牧→水上 諏訪峡

 

 雪と川とSLと煙、最高ですね!

 

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 2015/1/11 上越線 上牧→水上 諏訪峡

 

 振り返ったシーンは川が入らずに大失敗です...

 

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 2015/1/11 上越線 水上駅

 

 その後水上駅に入換シーンを撮りに行き、到着すると既に転車台で方向展開をしていました。方向転換後、一旦湯檜曽方面に引き上げます。

 

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 2015/1/11 上越線 水上駅

 

 Sカーブです?!

 

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 2015/1/11 上越線 水上駅

 

 Sカーブを通ってピットに入ります。

 

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 2015/1/11 上越線 水上駅

 

 ピット付近には大勢のファンが待ち受けてます。

 

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 2015/1/11 上越線 水上駅

 

 給水中です。

 

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 2015/1/11 上越線 水上駅

 

 新春らしい綺麗なヘッドマークでした。

 

 実はいままで上越線のSLは何回か乗ったことはありましたが、撮影は今回がはじめてでした。架線の下でもSLは元気に働いているのですね?!

 

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SL現役時代のアーカイブ(湯前線)

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 1973/12 湯前線 人吉駅 48679

 湯前線は最後の8620が活躍した線区で、貨物列車を復路はバックで牽引していました。この48679は普通の8620でしたが、鹿児島の入換機時代にC56同様のカットテンダーをつけ、この写真を撮った少し前に同僚から門鉄デフをもらいました。そして1975年春、8620最後の一両として廃車、解体されました。最後まで人吉で一緒だった58654がその後復活して大活躍しているのと対照的ですが、デフはこちらのほうがずっと綺麗でした。やはりテンダーが命取りになったのでしょうか...

 こんなことを書いていたら無性にまだ撮っていない58654に会いたくなってきました?!

 今日はこれから初撮りで水上に行ってきます。

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2015年1月10日 (土)

SL現役時代のアーカイブ(筑豊本線(D50)その1)

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 1972/8  筑豊本線 筑前植木→筑前垣生 D50140

 九州といえばなんといっても筑豊本線はSLマニアから見れば天国でした。8620、9600、C11、C55、C57、D50、D51、D60などが複線をひっきりなしに走っていました。筑豊本線は石炭輸送のために九州ではじめて複線化された路線で、当時は石炭産業に支えられ、大阪からの急行「天草」が走っていましたし、その後ブルトレも走った活気ある路線でした。1971年当時はC55やD60の天下でしたが、あっという間にC57やD51に乗っ取られ、スポーク動輪の罐は淘汰されてしまいました。

 D50も1971年4月に140号機がさよなら運転をし、一旦は梅小路に行ったのですが、小倉工場での中間検査に戻った際に罐不足から急遽筑豊本線に復活したのでした。その僅か4ヶ月の復活のタイミングでこの罐が撮影できたのはラッキーでした。

 煙のぼせさんのリクエストもありましたので、トップバッターはこの美しいD50140です。化粧煙突をはじめ原型を保った罐で、梅小路に行くためか黒光りしてました。真夏の日差しの下、残念ながらスカですが、セキを牽く姿は筑豊のイメージぴったりです。北海道のセキが綺麗に揃っていたのに対して九州の石炭列車はいろんなセキやセムが混じって編成されてました。

 複線の線路の間を日傘をさすご婦人が歩いています。下りの線路にも人がいますね。今では考えられない和やかな時代でした。現在は筑前植木、筑前垣生駅間には鞍手駅がありますが、当時は鞍手駅は廃止された室木線の駅でした。廃止されて別の線で復活した駅名も珍しいですね。このあたりはのどかな田園を走っていて撮影ポイントでした。

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2015年1月 9日 (金)

SL現役時代のアーカイブ(九州の魅力)

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 1971/12  筑豊本線 直方駅 C5557

 

 九州の魅力はなんといっても景色にもまして罐の美しさでした。また私の中学時代でもD51は少数派で、B20、C11、C12、8620、C55、C56、C57、C58、C61、9600、D50、D51、D60といった多彩な罐が配属され、しかも門鉄デフで綺麗に磨かれた罐が多く、雪の北海道と対照的な美しさでした。

 

 1971年3月の大畑ループの乗り鉄を皮切りに1971年8月、1971年12月、1972年8月、1973年8月、1973年12月と中学時代に6回九州に行ってます。九州ワイド周遊券で途中山陰や関西に寄ったのは前述の通りです。いつも年末やお盆のメチャ混みの時期で、宮崎から東京まで急行「高千穂」で座れず24時間近く立って帰ったのも遠い思い出です。当然冷房なんかついていませんでした...当時は博多におじさんがいたので泊めてもらったこともありますが、夜行の急行「かいもん」「日南」、普通「ながさき」に乗るか門司駅で寝て2週間過ごしました。帰りに三重の田舎に寄った時にあまりの汚さで服を全部脱がされたのだけは覚えています。なんせ真夏の九州で2週間洗濯せずにほとんど風呂にも入らずでしたから...

 

 たぶん中学1年だった1971年の暮、宮崎駅に泊まった時(宮崎駅の待合室は閉まったはずなのでそのへんのベンチで寝ていたのでしょうか?)、南国と思って薄着で行っていたら宮崎でも雪がちらつくような寒さで寝れずに、深夜駅前の屋台のラーメン屋に行ったところ、ちょうど麺がおしまいになってしまったのですが、先客がまだ箸をつけてなかった麺をはんぶんこしてくれて食べた思い出があります。具だけは沢山いれてもらって半額でした!九州男児の人情の思い出です。

 

 中学1年の時にはまだ筑豊本線に美しい門鉄デフのC55が走っていました。当時はまだ駅撮りが多かったですが、バカチョンカメラですが夕方の直方駅での美しいスポークギラリのこの写真はいまだに惚れ惚れします!

 

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 1973/12  日豊本線 高鍋駅 C57130

 

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 1971/12  筑豊本線 桂川→上穂波 D6062 + D51

 

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 1971/12  室木線 古月駅? 38634

 

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 1971/12 後藤寺線 船尾-後藤寺 9600 + 9600

 

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 1973/12 高森線 C12

 

 九州シリーズをお楽しみに!

 

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2015年1月 8日 (木)

SL現役時代のアーカイブ(草津線)

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 1971/8 草津線 草津駅 D51689

 中学一年の九州遠征の帰り、三重の田舎に寄るために京都から草津線の亀山行に乗りました。京都からはEF58で草津からはこのD51です。今となればEF58も貴重ですね。残念ながら私はEF58の写真は一枚もありません。この689号機は中央西線から来た罐で重油併燃装置はついていません。亀山に来て1年間活躍して廃車されました。

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 1971/8 草津線 D51613

 草津線の途中の駅で交換した貨物列車の牽引機っです。613号機は長野にいて長工式集煙装置をつけてましたが、福井で入換に従事した時にはずし、奈良にきてこの鷹取式集煙装置を再びつけた経歴があります。中学1年生の時にこの交換時のシーンを作文に書いて◎をもらって味をしめ、その後作文は必ず汽車のことを書いたのですが...

 草津線は旅客列車をはじめ貨物列車も何本か走っていましたが、関西本線のようなサミットがないのであまり人気はありませんでした。

 明日からはいよいよ九州に入ります。

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2015年1月 7日 (水)

SL現役時代のアーカイブ(関西本線その4)

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 1972/8 関西本線 加太 D51718 D51

 先日も書きましたが関西本線では貨物列車は後補機、旅客列車は重連(前補機)でした。後補機は編成が長いとなかなかうまく写せなかったですが、長い貨物列車が通り過ぎて「ヨ」のタンタンという軽いジョイント音の後、再びドラフト音が聞こえてくるのも楽しいものでした。重連とどのように使い分けるのか正確な理由は知りませんが、加太越えの場合は中在家信号場のスイッチバックにてバックのしやすさからなのでしょうか?肥薩線の大畑越えもスイッチバックですから同じ理由で後補機なのでしょう。ちなみに加太越えはDD51になってからも後補機でした。

 加太駅では貨物列車の交換もありました。発車の時の汽笛も後補機はちょっと遅れて鳴らすのが面白かったです。

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 1972/8 関西本線 加太―中在家 D51944

 後補機で頑張る偽「ツバメ」の944号機です。奈良運転区はなにかとSLを盛り上げていました?!

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 1972/8 関西本線 加太―中在家 D51882

 「月と鹿」の882号機も後補機で活躍です。ツバメより似合ってますね?!

 中在家信号場の柘植寄りにある加太トンネルでは入口にカーテンがあって、SLが入るとカーテンを下し煙が列車にまとわりつくのを防いでいました。この装置は他の場所にもあったのでしょうか?いずれにせよ後補機の機関士さん達にとってトンネルでの煙は大変な苦労であったと思います。

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2015年1月 6日 (火)

SL現役時代のアーカイブ(関西本線その3)

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 1972/8? 関西本線 加太-中在家 D51+DF50 D51

 関西本線のハイライトはやはり後補機を従えたD51の牽く貨物列車でした。加太越えのシーンは真夏でも爆煙でした。回送のDF50を従えて機関車3両の迫力あるシーンです。どうやらお立ち台の築堤手前のストレートが好きだったようです。「国鉄鉄時代」に同じ場所で同じような編成の写真があり、同じ列車かと思いましたが私のほうがタキが多いようです。

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 1972/8 関西本線 加太-中在家 D51499 D51

 後藤デフ装備の499号機は福知山から来た罐で1年半ここで活躍しました。短い貨物でも後補機付きです。

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 1972/8 関西本線 加太-中在家 D51499

 後藤デフ装備の499号機は人気でした。何年か前に498号機もそっくりになりましたね。

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 1972/8 関西本線 加太-中在家 D511007

 真夏でもこの煙ですから冬季はどんなだったのでしょうか?!冬休み、春休みは北海道だったので、真夏しか訪れなかったのが残念です。

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 1972/8 関西本線 加太-中在家 D51841

 さすがにちょっと貨車が短くてD51には似合いませんね?!

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 1972/8 関西本線 加太-中在家 D51841

 882号機は長きにわたってここで活躍した罐で、奈良運転所で「月に鹿」マークがつけられ、人気の罐となり大活躍でした。亀山機関区が罐に執着がなかったのに対して奈良運転所はなにかと色をつけてました?!

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2015年1月 5日 (月)

SL現役時代のアーカイブ(関西本線その2)

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 1972/8 関西本線 加太-中在家 D51703

 関西本線では西のほうでは「柳生号」「伊賀号」等のD51の牽く臨時列車が走っていましたが、亀山方面までは来ませんでした。加太を越えるパナカラー号はネットでもあまり記述がないですが1日限りだったのでしょうか?!

 703号機は大宮、高崎からきた罐で亀山では僅か半年の活躍でした。このパナカラー号が私の残っていた関西本線の写真のなかでは唯一のカラーです。

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 1972/8 関西本線 加太-中在家 D51703

 お立ち台の築堤を来るパナカラー号です。

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 1972/8 関西本線 加太-中在家 D51831+D51

 当時加太を越える客車列車は草津線の直通列車のみでした。2枚とも重連で写っているので定期で重連だったのでしょうか?831号機は福知山からきた罐でわずか半年間奈良運転所で活躍しました。貨物は後補機でしたが客車は重連だったようです。

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 1972/8 関西本線 加太-中在家 D51944+D51

 844号機は福知山から来て1年間奈良運転所で活躍しました。外来の罐なのに「さよならD51デゴイチ伊賀号」他臨時列車を何本か牽いているので調子がよかったのでしょうか?!この時はデフに偽「ツバメ」が付いてないですね。


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2015年1月 4日 (日)

SL現役時代のアーカイブ(関西本線その1)

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 1972/8 関西本線 加太-中在家 D511007

 関西本線は有名な加太越えに何回か撮りに行きました。当時は貨物列車以外にも2往復の荷物列車がありました。

 参宮線で書いたように、この後長門に行って私の実家の杉並の公園に保存されている254号機です。当時流し撮りは失敗が多くてほとんどやってませんでした。なんせ1ショットしか撮れない時代ですからもったいなくて...煙が切れてますがなんとか成功した1枚です。

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 1972/8 関西本線 加太-中在家 D51

 お立ち台の築堤を登ってきました。間の一般客車は回送でしょうか。

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 1972/8 関西本線 加太-中在家 D51906

 ピースマーク付き赤ナンバーの906号機です。荷物車3両は25‰でも軽々です。

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 1972/8 関西本線 加太-中在家 D511007

 短い荷物列車はお立ち台でも軽々走ります。真夏で煙もほとんどありません。

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2015年1月 3日 (土)

SL現役時代のアーカイブ(亀山機関区)

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 1972/8 亀山機関区 C50154

 亀山機関区には最後のC50がいて入換をしていました。C50は8620の改良機ですが軸重が重くてローカル線に入れず早い段階で入換機となっていました。梅小路にも保管されずちょっと不運な罐ですね。重心が高そうに見えてデフがないのでちょっとアンバランスではあります。154号機はラストナンバーだっただけに惜しかったです。小山時代はデフをつけてカッコ良かったのですが...

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 1972/8 亀山機関区 C50109

 多くの機関区が見学可能であったなか亀山機関区は立ち入り禁止で遠くから撮るのが精いっぱいでした。

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 1972/8 亀山機関区 C58312

 この角度から見るとC58の細いボイラーに大きな重油併燃装置が目立ちますね。キャブから前を見るのに邪魔ではなかったのでしょうか?大きな石炭庫の上にクレーンがあって給炭していました。

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2015年1月 2日 (金)

SL現役時代のアーカイブ(信楽線)

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 1973/8 信楽線 貴生川→雲井 C58312

 信楽線は1日1往復ですがC58の牽く貨物列車がありました。帰りはバック運転ですが、貴生川―雲井間にはサミットがありMAX33‰でした。夏の暑い日貴生川から歩いて列車を待つと素晴らしいブラスト音が聞こえてきましたが、煙はたいしたことないのが残念だったのだけ覚えています。石炭(豆炭?)をこぼれんばかりにテンダーに積んでますね。この312号機は73年に紀伊田辺からきて1年間亀山にいて廃車となりました。

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 1973/8 信楽線 貴生川→雲井 C58312

 タキ2両とワフ1両の短編成です。正面の写真はメインのアルバムに張られていたのでしょう、ありません。しかしこんな感じが信楽線のローカル貨物列車を表現してます?!

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 1973/8 関西本線 柘植駅 C58312

 亀山のC58は信楽線の貨物列車運用のために、亀山⇔柘植間は貨物列車の後補機として運用されてました。柘植には機関支区があり一休みして信楽線に向かってました。

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 1973/8 関西本線 加太付近 C5866

 このC5866号機は重油併燃装置はないですね。今は大阪城にいます。

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 1973/8 関西本線 加太付近 C58

 亀山のC58、C57は集煙装置、重油併燃装置があったりなかったり様々ですが、共通運用ですから重油の使用等は機関紙任せだったのでしょうか??

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 1973/8 関西本線 加太付近 C58

 信楽線は1度きりでしたが加太の後補機は何回か撮りました。

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2015年1月 1日 (木)

謹賀新年

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 2013/3/19 豊実→徳沢 新渡のSカーブ

 昨年も多くの方にアクセスしていただきありがとうございました。

 今年はC57も全般検査ということで待ち遠しい春になりそうです。今後もホットな撮影記、撮影地ガイドに努めたいと思いますので、ご声援よろしくお願い致します。

                               会津の自然と汽車

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