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1973/3 根室本線 厚岸→糸魚沢 貨1493 C58 クリックすると大画像で見ることが出来ます
混441の後を追うように貨1493がやってきました。厚岸湖を見下ろす斜面から撮っています。海の幸の宝庫の根室に行くだけにレムが多いですね。
1973/3 根室本線 厚岸→糸魚沢 貨1493 C58 クリックすると大画像で見ることが出来ます テンダーには春闘の落書きがあります。逆光の朝日を浴びて煙が綺麗です。
一部氷結した厚岸湖は雪原となり、朝日を浴びて綺麗です。
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2019年7月11日 (木) SL現役時代アーカイブ | 固定リンク
堤防 様 団結機関車、この写真、なかなか貴重ですね。 私は、直接はお目にかかったことはないんですが、今となっては、春闘さえもわかる人が少なくなってきて貴重だと思います。 当時は、雑誌などでは、正面に書いてある罐が来るとがっかりしたなどの記事をみました。北海道は、だいぶ来たんでしょうか。 さすがに、マニアからすると正面に書いてあれば興ざめですが、サイドにかいてあるとそれはそれで時代の証拠的な写真で今見ると、記録性では貴重です。当時は、団結列車はシャッターも切らなようでしたからマニアは・・・・ 順法闘争、反合理化、春闘勝利等、当時の乗務員の心意気と、生活感が伝わってくるようです。 また、脱線した話題で失礼しました。 C58282
投稿: C58282 | 2019年7月11日 (木) 00時51分
C58282様 この年は特に室蘭本線あたりでは殆どの罐の正面に「団結」がかかれていたと思います。当時は合理化の一環で無煙化を積極的に進め、新しく製造されたピカピカのDD51やDE10が、10数年後にはゴロゴロと廃車になる運命とは誰も思わなかったでしょう。確かに「団結号」はがっかりしましたが、現在の派手に飾った罐よりよかったかもしれません...
投稿: 堤防 | 2019年7月11日 (木) 08時42分
想像ですが、別寒辺牛湿原のだいぶ厚岸寄り、その1が厚岸駅から1kmくらい、その2がさらに600mほど進んだ地点での撮影でしょうか。 ここでは国道が鉄道から大きく離れてしまい、再び接近するところ(それが別寒辺牛湿原の入り口)まで4kmはありますので、雪道の徒歩単独行では とても無理だと思います。ちなみに、現在の有名撮影地はさらに2km先、つまり駅から6kmはあります。往復12kmはまず無理・・・ 当時の鉄道雑誌にあきらかに雪の別寒辺牛湿原で撮影したと思しき一枚が掲載されており、今でも印象に残っていますが、あれは車利用だったんでしょうね。 私の冬の北海道の経験でも、雪道の徒歩単独行はせいぜい片道2km、仲間がいれば4kmかなと思っていました。栗丘・栗山は駅間3kmほどですが、あれは 例外で国道が線路と並行しており、列車密度も高いので歩けましたけどね。 撮影旅行の出だしはまだ体力ありますが、中盤からはどんどん落ちますし。
投稿: マイオ | 2019年7月11日 (木) 13時13分
マイオ様 中学2年生の一人北海道、主食は駅の立ち食いソバでした。撮影旅行の出だしはなかなか寝付けなかった夜行列車も3日も立てば、垂直椅子でも瞬間に寝れるようになります。 しかしさすがに雪道を何キロも歩く勇気はなかったですね。この年の春は雪も少なかったようですが、もう殆ど記憶には残っていませんが、たぶん線路をテクテク歩いたんだと思います。
投稿: 堤防 | 2019年7月11日 (木) 23時35分
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コメント
堤防 様
団結機関車、この写真、なかなか貴重ですね。
私は、直接はお目にかかったことはないんですが、今となっては、春闘さえもわかる人が少なくなってきて貴重だと思います。
当時は、雑誌などでは、正面に書いてある罐が来るとがっかりしたなどの記事をみました。北海道は、だいぶ来たんでしょうか。
さすがに、マニアからすると正面に書いてあれば興ざめですが、サイドにかいてあるとそれはそれで時代の証拠的な写真で今見ると、記録性では貴重です。当時は、団結列車はシャッターも切らなようでしたからマニアは・・・・
順法闘争、反合理化、春闘勝利等、当時の乗務員の心意気と、生活感が伝わってくるようです。
また、脱線した話題で失礼しました。
C58282
投稿: C58282 | 2019年7月11日 (木) 00時51分
C58282様
この年は特に室蘭本線あたりでは殆どの罐の正面に「団結」がかかれていたと思います。当時は合理化の一環で無煙化を積極的に進め、新しく製造されたピカピカのDD51やDE10が、10数年後にはゴロゴロと廃車になる運命とは誰も思わなかったでしょう。確かに「団結号」はがっかりしましたが、現在の派手に飾った罐よりよかったかもしれません...
投稿: 堤防 | 2019年7月11日 (木) 08時42分
想像ですが、別寒辺牛湿原のだいぶ厚岸寄り、その1が厚岸駅から1kmくらい、その2がさらに600mほど進んだ地点での撮影でしょうか。
ここでは国道が鉄道から大きく離れてしまい、再び接近するところ(それが別寒辺牛湿原の入り口)まで4kmはありますので、雪道の徒歩単独行では
とても無理だと思います。ちなみに、現在の有名撮影地はさらに2km先、つまり駅から6kmはあります。往復12kmはまず無理・・・
当時の鉄道雑誌にあきらかに雪の別寒辺牛湿原で撮影したと思しき一枚が掲載されており、今でも印象に残っていますが、あれは車利用だったんでしょうね。
私の冬の北海道の経験でも、雪道の徒歩単独行はせいぜい片道2km、仲間がいれば4kmかなと思っていました。栗丘・栗山は駅間3kmほどですが、あれは
例外で国道が線路と並行しており、列車密度も高いので歩けましたけどね。
撮影旅行の出だしはまだ体力ありますが、中盤からはどんどん落ちますし。
投稿: マイオ | 2019年7月11日 (木) 13時13分
マイオ様
中学2年生の一人北海道、主食は駅の立ち食いソバでした。撮影旅行の出だしはなかなか寝付けなかった夜行列車も3日も立てば、垂直椅子でも瞬間に寝れるようになります。
しかしさすがに雪道を何キロも歩く勇気はなかったですね。この年の春は雪も少なかったようですが、もう殆ど記憶には残っていませんが、たぶん線路をテクテク歩いたんだと思います。
投稿: 堤防 | 2019年7月11日 (木) 23時35分