(ニュース)ばんえつ物語若松試運転運行される
2017/3/17 日出谷→豊実 実川島踏切
本日ばんえつ物語の若松試運転がありました。先週末に火入れがあって、月曜日に構内検査、通例だと本日津川単機、明日若松試運転ですが、今年はいきなり若松試運転でした。残念ながら今週の平日は行けないのでまたも試運転は3年連続パスになりました...
まぁ元気にC57180が活躍してくれるならヨシとして8月を待ちます?!
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2017/3/17 日出谷→豊実 実川島踏切
本日ばんえつ物語の若松試運転がありました。先週末に火入れがあって、月曜日に構内検査、通例だと本日津川単機、明日若松試運転ですが、今年はいきなり若松試運転でした。残念ながら今週の平日は行けないのでまたも試運転は3年連続パスになりました...
まぁ元気にC57180が活躍してくれるならヨシとして8月を待ちます?!
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1972/8 関西本線 加太→中在家 荷44 D511007 クリックすると大画像で見ることが出来ます
関西本線には当時百済と亀山間に2往復の荷客があって、奈良と亀山間をD51が牽いていました。関西本線の荷客は荷物車・郵便車のみで函館本線のように一般の客車はついてなく、当時SLが牽く唯一の荷物専用列車であったと思います。
1972/8 関西本線 加太→中在家 荷44 D511007 クリックすると大画像で見ることが出来ます
25‰も軽々と牽いてきました。
1972/8 関西本線 加太→中在家 荷44 D511007 クリックすると大画像で見ることが出来ます
D511007は奈良の罐で73年11月に廃車になっています。
1972/8 関西本線 加太→中在家 荷44 D51906 クリックすると大画像で見ることが出来ます
この日は僅か荷物車3両でした。
D51906は亀山、竜華あたりにで活躍した奈良の罐で、赤ナンバーでデフにハトマークをつけ臨時列車でよく使用されました。73年9月に最終仕業の列車を牽き73年11月に廃車になっています。
1972/8 関西本線 加太→中在家 D51831+D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
72年夏当時はまだ草津線からの直通客車列車がありました。この日はD51の重連でやってきました。一ヶ月ちょっとで草津線は無煙化され、加太越えのSLの牽く定期旅客列車はなくなりました。加太駅を発車した直線コースはよく撮っています。
D51831は72年3月に福知山から奈良に来た罐で73年11月に廃車になり、三重県伊賀町に保存されています。
1972/8 関西本線 中在家→加太 D51944+D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
上りもD51重連でやってきました。お立ち台の築堤を逆サイドから撮っています。
D519447も72年3月に福知山から奈良に来た罐で、デフにツバメをつけて臨時列車に引っ張りだこでしたが、73年4月に廃車になっています。
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1972/1 亀山機関区 C50154 クリックすると大画像で見ることが出来ます
72年当時亀山機関区にはC57、C58、D51に加えて入換用のC50が2両いました。C50は少数派で全国でも早くから入換専用機になり、亀山は最後の活躍の場でした。72年の1月九州の帰りに亀山によってC50を撮っています。
1972/1 亀山機関区 C50154 クリックすると大画像で見ることが出来ます
C50154は小山で活躍していた罐で、糸崎を経由して70年10月に罐山に来て73年4月に廃車になり亀山市に保存されています。
1972/1 亀山機関区 C50154 クリックすると大画像で見ることが出来ます
8620の改良版なのですが、動輪が大きく腰高に見えます。C12と共に梅小路に保存されなかったC50です。
1972/1 亀山機関区 C50154 クリックすると大画像で見ることが出来ます
鉄道の街であった亀山の操車場は広かったです。当時DF50にいたっては37両もいました。
1972/1 亀山機関区 C50154 クリックすると大画像で見ることが出来ます
こんな構内の踏切もあったのですね。夕陽がさしています。
1972/8 亀山機関区 C50109 クリックすると大画像で見ることが出来ます
もう1両のC50109は70年12月に豊橋から亀山に来た罐で、72年10月に廃車になっています。
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1972/8 関西本線 加太→中在家 貨1792 D51497+DF50 +C5866 クリックすると大画像で見ることが出来ます
72年夏当時はまだ亀山、奈良の罐も健在で後補機を従えた貨物列車の加太越えは迫力がありました。しかし10月の改正で亀山のD51はあっという間に全廃になってしまいます。
お立ち台の築堤は多くのファンがいましたが、手前の田園風景の直線は私のお気に入りの場所でした。
1972/8 関西本線 加太→中在家 貨1792 D51497+DF50 +C5866 クリックすると大画像で見ることが出来ます
貨1792は信楽線の運用のC58が後補機につく列車で、この日は回送のDF50を従え機関車3両で来ました。DF50は紀勢本線では使われていましたが、関西本線では使われていませんでした。
田んぼの稲も育った真夏の日差しの中でも25‰の連続勾配に備えてよい煙でやってきます。
D51497は亀山の罐で竜華時代とあわせ30年近く関西本線で活躍しています。72年10月に山口線管理所に行き73年8月に廃車になっています。
1972/8 関西本線 加太→中在家 貨1792 D51497+DF50 +C5866 クリックすると大画像で見ることが出来ます
信楽線の運用の帰りのC58も全力で押しています。
C5866は亀山の罐で、王子、奈良と関西本線で一生を過ごし、74年3月に亀山最後の罐として廃車になり、現在は大阪城で保存されています。
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2015/8/9 荻野→尾登 尾登のカーブ
26日JR東日本から「のってたのしい列車」運転再開が発表されました。いつかいつかといろんな噂もありましたが、万全を喫しての運転再開は正しい判断だと思います。
「ばんえつ物語」もJR東日本のSLではしんがりとなるもともと運転予定のなかった8月1,2、8、9日から運転再開され、アジサイは間に合わなかったですが、ヒマワリ等の夏の花や馬下の夕陽には間に合ってよかったです。
皆さん半年近い「STAY HOME」でだいぶ欲求不満になっていると思いますが、極度の蜜は避け熱い夏を楽しみたいものです。
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1972/8 紀勢本線 亀山→下庄 客821 C57198 クリックすると大画像で見ることが出来ます
72年当時紀勢本線には1往復のC57の牽く客車列車が残っていました。もともとはD51の牽く客車列車もあったのですが無くなり、C57の牽く客車列車が残ったのは奇跡的です。
亀山を出た下り列車はすぐに鈴鹿川橋りょうを渡ります。
1972/8 紀勢本線 亀山→下庄 客821 C57198 クリックすると大画像で見ることが出来ます
この辺りは母の実家から20kmぐらいなので自転車で何度も撮りに来ています。しかし変速機もない昔の今の倍くらいの重さの自転車で中学2年生頑張って走ったものです?!
重油タンクをつけたC57198は亀山の罐で、本州では数少ない戦後の4次形です。73年9月に廃車になり千葉に保存されていましたが、その後解体されています。C59に似たC57の4次形は日豊本線にも数両いましたが、私の大好きな罐です。
1972/8 紀勢本線 亀山→下庄 客821 C57198 クリックすると大画像で見ることが出来ます
上の鈴鹿川橋りょうと別の日で亀山駅発車のシーンです。やはり4次形は迫力あります。
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1973/8 関西本線 加太 D51+D511007 クリックすると大画像で見ることが出来ます
山陰本線が終わり関西本線になります。加太越に代表される関西本線は田舎から自転車で行くことも出来たので、何回も訪れています。後補機付きの貨物列車がメインでした。惜しむべきは冬季は北海道や九州をメインに行動していたので、雪景色はありません...
1972/8 関西本線 加太→中在家 D51499+D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
福知山から来たD51499は関西本線終盤のスターでした。
1973/8 関西本線 関→加太 D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
貨物列車以外にも荷客や臨時列車もあり色々楽しめる場所でした。
関西本線に加えて紀勢本線、草津線、信楽線、亀山機関区等のシリーズになります。
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1974/1 山陰本線 長門二見→滝部 貨864 D51558
いよいよ山陰本線も最後になりました。前の客車列車を俯瞰で撮って、今度は正面です。
1974/1 山陰本線 長門二見→滝部 貨1898 D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
滝部に向かって25‰もあり煙が出ます。
1974/1 山陰本線 長門二見→滝部 貨1898 D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
まだ15時ですが、これで山陰本線から引き揚げています。真夏の陽気の中、風呂にも入らず九州の帰り道で既に気力と体力を失っていたと思われます。まだ本州最後のC57も浜田に残り、早朝の1本の客車列車を牽いてました。
当時の撮影地ガイドにはこの区間はあまり面白くない旨も書かれていますが、こうして見ると山陰本線は距離も長く、海岸から峠まで素晴らしい景色も多く、もっと注目してもよかったのではないかと思います...
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1974/1 山陰本線 長門二見→滝部 客828 D51214 クリックすると大画像で見ることが出来ます
長門二見から滝部にかけては25‰の急勾配がありました。
1974/1 山陰本線 長門二見→滝部 客828 D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
珍しく俯瞰できる場所から撮っています。
1974/1 山陰本線 長門二見→滝部 客828 D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
客車7両の長い編成です。
1974/1 山陰本線 長門二見→滝部 客828 D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
線路際に撮影者がいます。
1974/1 山陰本線 長門二見→滝部 客828 D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
集煙装置をつけているのでもともと長門の罐ではありませんが、番号が読み切れません...
1974/1 山陰本線 長門二見→滝部 客828 D51214 クリックすると大画像で見ることが出来ます
山陰本線は海のイメージが強いですが、内陸の滝部へは峠越えのシーンになります。
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1974/1 山陰本線 長門二見→宇賀本郷 客825 D51612+D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
長門二見を出発する下り客車列車はD51重連でやってきました。
1974/1 山陰本線 長門二見→宇賀本郷 客825 D51612+D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
現役時代D51重連の客車列車を撮れたのはこれ1回かもしれません。
1974/1 山陰本線 長門二見→宇賀本郷 客825 D51612+D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
客車8両の長い編成の重連は見ごたえがあります。
1974/1 山陰本線 長門二見→宇賀本郷 客825 D51612+D51
D51612も昨日のD51720と同様の経緯で長門に来て長野工場式集煙装置をつけています。そして720と重連で山陰本線サヨナラ列車を牽きましたが、75年2月に廃車になり、こちらは保存されませんでした。
昨晩は8度近くまで冷え込んでストーブをつけましたが、今日の昼間は久しぶりの晴天では23度に上がりました。我が家の池の畔の木にはモリアオガエルが卵を産んでました。他の蛙はとっくにオタマジャクシになっていますが、モリアオガエルだけは産卵が遅いです。池に張り出した木に泡状の卵が産んであります。
孵化するとそのまま池に落ちる場所はそんなになく、1本の木に3匹が産んでました。池の中は既にオタマジャクシが密な状態にあり、生まれたばかりのモリアオガエルのオタマジャクシは生きていけるのでしょうか...
モリアオガエルは5cm程のデカいアマガエルで、これが夜に虫を捕りに窓ガラスに張り付くと不気味です。
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1974/1 山陰本線 宇賀本郷→長門二見 貨2762 D51720 クリックすると大画像で見ることが出来ます
その後長門二見に移動してまずは駅進入です。腕木式信号のあたりに海が見えます。
1974/1 山陰本線 宇賀本郷→長門二見 貨2762 D51720 クリックすると大画像で見ることが出来ます
長門二見駅は貨物取り扱いがなく通過のためか煙があります。
1974/1 山陰本線 宇賀本郷→長門二見 貨2762 D51720 クリックすると大画像で見ることが出来ます
レムが連なる編成も面白いです。
1974/1 山陰本線 宇賀本郷→長門二見 貨2762 D51720 クリックすると大画像で見ることが出来ます
D51720は長門の罐で、かつて長野に配置されていたために長野工場式集煙装置を付けています。その後集煙装置をはずして75年1月に山陰本線さよなら列車を牽き、75年2月に廃車、広島に保存されています。
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今年も我が家の巣箱で13個の卵を産んだオシドリですが、残念ながら今年も駄目でした...6月のはじめまでは一日23時間はお母さんが卵を温めていたのですが、2週間前から音沙汰がなくなり、巣箱を覗いたら割れた殻が一つだけ残され蛻のからでした。
13個の卵が無くなったのは不思議でしたが、鶏の卵程の卵を持ち出す動物はいないので、たぶん無精卵が次第に割れて、お母さんが殻を食べたのだと思います。最後の1つも割れてお母さんも諦めて巣箱を出たのだと思われます。
昨年は無精卵の卵が沢山残っていましたが、2年連続の繁殖失敗にショックです。今年は覗いたり、近づいたりしないよう気を使ったのですが、無精卵ではどうしようもないですね。今年は我が家の池には殆ど降りませんでしたが、また来年来てくれることを願って巣箱を片付けます。
1974/1 山陰本線 D51715 クリックすると大画像で見ることが出来ます
最後の山陰本線は1974年1月で九州絵遠征の帰り道でした。昼前からは長門二見で撮っているのですが、その前に撮っている田園地帯の場所は全く記憶にありません。ただ三ヶ日で朝降りた駅では店も閉まっており、食料が何も手に入らず、空腹に耐えかねてミカン畑に落ちていたミカンを食べたことだけは覚えています...フィルムも九州でトライXを使い果たしたようでネオパンSSです。
正月の日の出は7時半近くと遅くまだ暗かったのでしょうか?珍しく流しています。
D51715は長門の罐で75年1月に廃車になっています。
1974/1 山陰本線 D51442 クリックすると大画像で見ることが出来ます
場所は分かりませんが田園地帯をよい煙でD51の牽く客車列車がやってきました。
1974/1 山陰本線 D51442 クリックすると大画像で見ることが出来ます
D51442は73年10月に紀伊田辺から長門に来た罐で、紀伊田辺時代は奈良に貸し出されて72年10月に草津線のサヨナラ列車を牽いています。長門に来て集煙装置を取り外し、74年10月に廃車になっています。
1974/1 山陰本線 D51442 クリックすると大画像で見ることが出来ます
長門の罐は余分な装置はすべて取り外し、原形に近い形で最後まで活躍していました。
1972/8 美祢線 南大嶺→四郎ヶ原 D51470 クリックすると大画像で見ることが出来ます
美祢線本線の上りシリーズです。下り勾配ですが石灰石を積んだ南大嶺駅発車で煙はあります。
1972/8 美祢線 南大嶺→四郎ヶ原 D51730 クリックすると大画像で見ることが出来ます
D51730は厚狭の罐で73年4月に長門に行き、74年3月に廃車になっています。
1972/8 美祢線 南大嶺→四郎ヶ原 D51476 クリックすると大画像で見ることが出来ます
D51730も厚狭の罐で73年4月に長門に行き、73年11月に廃車になっています。
1972/8 美祢線 南大嶺→四郎ヶ原 D511022 クリックすると大画像で見ることが出来ます
なんという撮り方でしょうか...船底型テンダーで救われました。
カマボコドームのD511022は鳥栖時代に小倉工場式の門デフをつけ、71年10月に厚狭に来て72年12月に廃車になっています。
1972/8 美祢線 南大嶺→四郎ヶ原 D51507 クリックすると大画像で見ることが出来ます
D51507は田端や新小岩で活躍した江戸っ子で、70年10月に高崎から厚狭に来て、72年12月に廃車になっています。
1972/8 美祢線 南大嶺→四郎ヶ原 D5118 クリックすると大画像で見ることが出来ます
美祢線の締めはナメクジがホキを牽いてきました。
1972/8 美祢線 南大嶺→四郎ヶ原 D5118 クリックすると大画像で見ることが出来ます
D5118は70年10月に吉松から厚狭に来た罐で、72年12月に廃車になり、宇部市に保存されています。
1972/8 美祢線 南大嶺→四郎ヶ原 D5118 クリックすると大画像で見ることが出来ます
貨車を真っ白に汚した石灰石ですが、まさかこの石灰石に一生お世話になるとは夢にも思いませんでした?!
JR北海道から宗谷本線の多くの駅が廃止候補に上がり、抜海駅もその中に含まれています。現在各自治体と協議が進められているようですが、抜海駅は現役蒸気時代から思い出深い駅であり、是非存続のための道を模索して欲しいものです。
2017/2/12
昔ながらの駅舎は夜間も保線の方の詰め所になっており、ストーブがたかれるので、煙突に氷柱ができます。
1972/8 美祢線 四郎ヶ原→南大嶺 D51592 クリックすると大画像で見ることが出来ます
美祢線本線の方はホキを使った石灰石運搬を中心に貨物列車が18往復もありました。しかしここも上りはバック運転で、正方向の下りは空荷でした。まずは下りシリーズです。
D51592は下関で入換専用機であったのが72年3月に厚狭に来た罐で、72年12月には廃車、下松市で保存されています。
1972/8 美祢線 四郎ヶ原→南大嶺 D51272 クリックすると大画像で見ることが出来ます
南大嶺からすぐの厚狭川にかかる橋りょうで撮っています。
D51272は熊本時代に小倉工場の門デフをつけた罐で、70年9月に厚狭に来て72年9月に廃車になり、世田谷区に保存されています。
1972/8 美祢線 四郎ヶ原→南大嶺 D51272 クリックすると大画像で見ることが出来ます
小倉工場の門デフはD51に似合います。キャブのナンバープレートがとれそうですね...廃車直前の最後の活躍シーンでした。
1972/8 美祢線 四郎ヶ原→南大嶺 D51470 クリックすると大画像で見ることが出来ます
石灰石を運ぶホキは真っ白に汚れ、空荷ですが粉が飛んでいるようです。
D51470は翌年山陰本線で撮ったデフに鷲マークがついた罐ででした。かつて高崎時代にお召列車を牽いた経験からでしょうか綺麗に飾られた罐で、73年2月の美祢線さよなら列車も牽いて綺麗に保存され幸せな罐です。
1972/8 美祢線 四郎ヶ原→南大嶺 D51470 クリックすると大画像で見ることが出来ます
南大嶺駅に入ります。駅の向こうの山も剥げていますが。ここらの山は石灰石で出来ていると思われます。
1972/8 美祢線 四郎ヶ原→南大嶺 D51282
D51282は厚狭の罐で、72年10月に長門に行き、73年2月に廃車になっています。
1972/8 美祢線 四郎ヶ原→南大嶺 D511026 クリックすると大画像で見ることが出来ます
カマボコドームのD511026は熊本から厚狭に来た罐で、73年5月に廃車になっています。
美祢線は列車本数は多かったですが、やはり景色がよく勾配もある山陰本線と比べると...
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1972/8 美祢線大嶺支線 大嶺→南大嶺 D51518 クリックすると大画像で見ることが出来ます
山陰本線が続いたので一旦近くの美祢線です。美祢線には72年夏の九州の帰りに寄っています。当時美祢線は石灰石輸送が殆どでしたが、大嶺には石炭炭山があり、僅か1駅の大嶺支線には11往復の混合列車や貨物列車が走っていました。72年の春まではC58が運用についていましたが、既にD51に交替していました。
D51518は長く広島にいた罐で、71年3月に厚狭に来て73年5月に廃車になっています。
1972/8 美祢線大嶺支線 南大嶺→大嶺 D51518 クリックすると大画像で見ることが出来ます
ダイヤ上は混合列車になっていますが、既に炭山からの荷は少なかったようで貨車なしが多かったようです。D51が客車1両を牽く姿は肥薩線の混合列車以来です。
1972/8 美祢線大嶺支線 南大嶺→大嶺 D51518 クリックすると大画像で見ることが出来ます
ようやく混合列車が撮れました。石灰石はセキ(ホキ)ですが、少量の石炭は2軸のセムで運んでいたようです。
これまた真夏で煙は薄いですが、客車1両の今は無き大嶺支線は印象深かったです。
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1973/8 山陰本線 馬路→仁万 特急まつかぜ クリックすると大画像で見ることが出来ます
順番が前後しますが「その12」の続きです。京都から博多までこのまつかぜに乗って車窓を楽しみたかったですね。
1973/8 山陰本線 仁万→馬路 貨561 D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
ワフ+ワム+ワフという左右対称な短編成がなにか面白いです。煙もちょっと出て絵になりました。
1973/8 山陰本線 江津→浅利 貨876 D51774 クリックすると大画像で見ることが出来ます
73年8月の山陰本線最後のシーンは江の川橋りょうです。長い貨物を牽いて江津を発車してきました。
1973/8 山陰本線 江津→浅利 貨876 D51774 クリックすると大画像で見ることが出来ます
3日間炎天下の中でしたが、山陰本線のD51、C57と夏の日本海を満喫しました。この後はさんべ1号、京都行夜行の鈍行と乗り継ぎ、関西本線に向かっています。
海沿いの撮影を終えて駅撮りです。対向の列車にカメラを向けてないのでDL牽引(客829)となると滝部駅の客832のはずです。
給水ポートがありますね。
1973/8 山陰本線 滝部? 客844 D51558 クリックすると大画像で見ることが出来ます
3日目の最後は滝部駅でのD51牽引の客車列車の交換シーンです。まずは上りの客844の到着です。
1日目は三保三隅で夕方に客車交換を撮りましたが、その時もこの罐でした。
1973/8 山陰本線 滝部? 客844 D51558 客849 D51239 クリックすると大画像で見ることが出来ます
D51の客車列車の交換シーンはここ山陰本線ならではでした。タブレットを受け取る駅員さんのポーズが良いです。ホームの隅には給水タンクがありますが、滝部駅でしょうか?
D51239は下関で入換専用機でしたが、72年3月に長門に来て、74年5月に廃車になっていますが、追分、広島、尻内、広島、下関と全国を回ってます。
山陰本線2日目はさすがD51のメッカであった長門-下関で、D51を満喫した日でありました。
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1973/8 山陰本線 湯玉→小串 貨2765 D51435+D51
貨2765は思いもかけず重連で来ました。磯遊びする若者も絵になります。
1973/8 山陰本線 湯玉→小串 貨2765 D51435+D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
D51435は会津若松にいた罐で、半年ちょっと中津川にいて73年6月に長門にきて、74年3月に廃車になっています。中津川に来て集煙装置をつけたのですが、長門に来て半年ではずしていますが、長門は浜田と違って集煙装置は必ずはずしたようですね。
16時過ぎの海岸線での最後のシーンです。後は駅撮りしていますが、日没にかけて海岸線での夕陽は素晴らしかったでしょうから、ここで撮らなかったのが悔やまれます...
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1973/8 山陰本線 小串→湯玉 貨864 D51470 クリックすると大画像で見ることが出来ます
海岸線を走る上り貨物です。砂浜で泳ぎながら横を汽車が走る...最高の場所ですね。
D51470は美祢線さよなら列車を牽いて73年4月に厚狭から長門に来た罐で、74年5月に廃車になり岐阜で綺麗に保存されています。
続いてくる上り貨物列車を切通のところで撮っていますが、煙は渋かったようです。
1973/8 山陰本線 小串→湯玉 貨866 D51125 クリックすると大画像で見ることが出来ます
振り向くと海が入ります。ここで上りを撮らなくてはいけないですね...
D51125は中央西線で何回も撮っている罐で、73年6月に中津川から長門に来て、集煙装置をはずしました。
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次は海水浴場から下り貨物です。砂浜の若者もロン毛の時代です。
場所を移動してコンクリートの擁壁がある場所です。磯から下り客車列車です。
1973/8 山陰本線 湯玉→小串 客825 D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
ここは磯が美しい場所です。
1973/8 山陰本線 小串→湯玉 客828 D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
次から次へと来るD51がいろんな海の景色で撮り放題でした。
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1973/8 山陰本線 湯玉→小串 客823 D51243 クリックすると大画像で見ることが出来ます
ここは下りも煙は出ませんがよい景色です。
D51243は長門の罐で74年11月に廃車になり、静岡の天城で保存されています。
1973/8 山陰本線 小串→湯玉 貨2762 D51803 クリックすると大画像で見ることが出来ます
カラー写真もありました。青い海が綺麗です。
D51803は小郡、長門と一生を山口県で送った罐で、74年3月に廃車になっています。
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1973/8 山陰本線 小串→湯玉 客840 D51911 クリックすると大画像で見ることが出来ます
磯の先からの撮影の次は海水浴場を見渡せる陸側に移動しました。そしてようやく煙が出る上りの客車列車です。
1973/8 山陰本線 小串→湯玉 客840 D51911 クリックすると大画像で見ることが出来ます
真夏でまだ8時半だというのに海水浴客もいますし、窓も全開です。
1973/8 山陰本線 小串→湯玉 客840 D51911 クリックすると大画像で見ることが出来ます
ちょっと手前のススキが邪魔でしたけど、海水浴場も隠れ、73年夏の山陰本線でお気に入りの1枚になりました。
カマボコドームのD51911は関東で活躍していた罐で、長門に来て73年11月に廃車になりました。
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1973/8 山陰本線 湯玉→小串 客843 D51214 クリックすると大画像で見ることが出来ます
3本目は6時45分です。岬の先から撮ってます。早朝ですがもう砂浜には散歩する人達がいます。
1973/8 山陰本線 小串→湯玉 貨860 D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
7時15分の上り貨物です。海岸の磯が綺麗です。
1973/8 山陰本線 小串→湯玉 貨860 D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
岬の先からは両側撮れました。上りが煙が出るようです。
1973/8 山陰本線 湯玉→小串 客821 D51214 クリックすると大画像で見ることが出来ます
4本目は7時30分です。2時間で5本も撮れましたが、綺麗な海に立っているだけでも楽しかったはずです。
1973/8 山陰本線 湯玉→小串 客841 D51628 クリックすると大画像で見ることが出来ます
山陰本線2日目は出雲市から乗った夜行のさんべ3号を小串で降り、湯玉-小串の区間で撮っています。
この区間は朝の下り通勤列車をD51が4本も牽いてました。まずは早朝5時40分で海までたどり着けなかったようです。
D51628は長門の罐で、74年3月に廃車になっています。長門のD51は集煙装置や重油タンクはついていません。
1973/8 山陰本線 湯玉→小串 客843 D51214 クリックすると大画像で見ることが出来ます
2本目は6時半、ちょっと霞んだ海や半島がいい感じです。
D51214は長門の罐で、75年1月に廃車になり、広島工場にナンバーや動輪が保存されています。
以前我が家に渡りの途中のノジコが来たという記事をアップしましたが、その後ノジコは毎日我が家に現れ、たぶん近くで繁殖していると思われます。
我が家の池がお気に入りのようで虫を捕りに来ます。
いままで冬季はアオジはいますが、春夏季はアオジと思っていた鳥はノジコであったようです。
池というか沼地のような環境ですが、虫が沢山います。
木の上で囀っている姿はなかなかうまく撮れませんが、下に降りるとあまり警戒心もなく撮りやすいです。
例年は休日は殆ど「ばんえつ物語」で、長野の家にいる日もなにかと忙しくてゆっくり野鳥を見る時間がありませんでしたが、今年は新型コロナの影響でゆっくり野鳥が見れて、いろいろ発見がありました。
我が家の川の畔ではニッコウキスゲが咲きました。奥に見えるミズバショウはすでに1mちかいお化けになっています。
アカゲラは草むらで蟻をしきりに食べています。
ハルゼミが一斉に鳴き始めました。これが鳴くと暑くなります。
キンクロハジロは残念ながらさすがに北に帰ったようです。
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1973/8 山陰本線 馬路? C57156 クリックすると大画像で見ることが出来ます
馬路駅につくと昨日も撮った出雲市から浜田へのC57の単機回送がいました。
1973/8 山陰本線 馬路? C57156 クリックすると大画像で見ることが出来ます
発車ですが真夏のお昼で煙も出ません...
C56156は播但線でさよなら三重連を牽き、72年10月に豊岡から浜田に来て、74年10月に廃車になり、益田に保存されています。原形に近く綺麗な罐でした。
本来の運用であれば昨日米子に行ったC575がこの単機回送で浜田に戻るはずなのですが、なんらかの理由で昨日の夜までに浜田に戻り、かわりにこのC57156が客527、単機回送の運用に着いたと思われますが、C57156はどこから湧いてきたのでしょうか?
1973/8 山陰本線 馬路→仁万 貨1896 D51 クリックすると大画像で見ることが出来ます
馬路駅先の海が見える築堤です。景色は良いのですがスカです...
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1973/8 山陰本線 浜田 D51488 D51481 クリックすると大画像で見ることが出来ます
D51は浜田には10両ほど配置されていましたが、伯備線の無煙化によって73年春に新見から来た罐が多かったです。
D51481も73年3月に新見から浜田に来た罐で、74年9月に廃車になり、南越前町で保存されています。
1973/8 山陰本線 浜田 D51838 クリックすると大画像で見ることが出来ます
給砂塔の横で休むD51838も73年6月に新見から浜田に来た罐で、伯備線時代はお召列車やお別れ列車を牽引しています。73年12月に新見に戻り、74年2月に廃車になり、新見市で保存されています。
1973/8 山陰本線 浜田 D51322 クリックすると大画像で見ることが出来ます
D51322は浜田の罐で74年3月に廃車になっています。浜田のC57、D51は集煙装置、重油タンクの有り無し全部の組み合わせがあるほどバラエティにとんでいました。
1973/8 山陰本線 浜田 貨861 D51774 クリックすると大画像で見ることが出来ます
ようやく仁万で撮ったD51774が来ました。浜田には2時間程いて再び馬路に向かいます。
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1973/8 山陰本線 浜田 C5741 クリックすると大画像で見ることが出来ます
当時浜田には6両のC57がいました。
C5741は72年10月に福知山から浜田に来た罐で、重油タンクを背負ってました。73年12月には宮崎に転属し、日豊本線でも撮っており、74年6月に廃車になっています。ナンバープレートがずいぶん上についていますね。
1973/8 山陰本線 浜田 貨481 C5741
浜田のC57はもっぱら客車列車を牽いていましたが、浜田港線の分岐駅であった西浜田まで1駅だけの貨物列車も牽いていました。帰りはバック運転です。
1973/8 山陰本線 浜田 貨481 C5741 クリックすると大画像で見ることが出来ます
浜田駅構内には多くの車両がいます。
1973/8 山陰本線 浜田 貨481 C5741 クリックすると大画像で見ることが出来ます
タキとワムフの2両を牽いて出発です。
1973/8 山陰本線 浜田 C57165 クリックすると大画像で見ることが出来ます
転車台の横にはお化粧したC57165がいました。72年3月に廃車になり73年8月9日に浜田市に保存されたというので、その直前と思われます。集煙装置をはずしたので煙突が短いですね。
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1973/8 山陰本線 浜田 C56108 クリックすると大画像で見ることが出来ます
朝のC57を撮った後は浜田駅に来ています。浜田には三江北線と構内入替用にC56が4両いました。
構内で入換をするC56108は木次から来た浜田の罐で、74年7月に廃車になり木次に保存されています。
1973/8 山陰本線 浜田 C56108 クリックすると大画像で見ることが出来ます
朝の9時34分です。ワムフを客車につなげ混合列車を入れ換えています。というのは嘘です。
浜田のC56が活躍する三江北線も撮りたかったですが、1日1往復でしかも正方向は夜間、バック運転の下りも朝7時に江津を出るというダイヤでなかなか撮りにくかったです...
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1973/8 山陰本線 仁万 貨861 D51774 クリックすると大画像で見ることが出来ます
C57を撮った後仁万駅に戻ると先ほどのD51774が停車していました。
D51774も73年3月に新見から浜田に来た罐で、74年11月に本州最後のSLの定期客車列車を牽いて、75年1月に廃車になり、旧大社駅に保存されています。
1973/8 山陰本線 仁万 クリックすると大画像で見ることが出来ます
当時HOゲージで貨物上屋を作っていたので参考に撮ったと思われます。看板の「のがわや旅館」は温泉津ですが、仁万駅と思われますが当時の典型的なタイプですね。
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1973/8 山陰本線 仁万→五十猛 貨560 D51758 クリックすると大画像で見ることが出来ます
1日目から飛びますが山陰本線3日目の第一コマです。前夜は全く記憶にないのですが、中学時代は宿には泊まってないので、たぶん浜田駅ステーションホテルと思われます。
D51758は新見から73年2月に米子に来た罐で、74年2月に廃車になっています。新見時代には71年にお召し機予備機にもなって飾られています。
1973/8 山陰本線 五十猛→仁万 貨861 D51774 クリックすると大画像で見ることが出来ます
この区間に来て海を入れて撮れる場所で撮らなかったのが不思議で鵜S...
1973/8 山陰本線 仁万→五十猛 客544 C575 クリックすると大画像で見ることが出来ます
いよいよ本命のC57の牽く上り客車列車です。初日のスカ続きを吹っ飛ばすよい煙でやってきました。
1973/8 山陰本線 仁万→五十猛 客544 C575 クリックすると大画像で見ることが出来ます
C57の次には荷物車代用でしょうか古いワキがついています。ワキ1000のようですが、たまに山陰本線でC57が牽く写真を見かけます。
1973/8 山陰本線 仁万→五十猛 客544 C575 クリックすると大画像で見ることが出来ます
謎はC575の運用です。昨日に出雲市で客544を牽き米子に向かっていく姿を撮っているので、当時は浜田から米子のC57の運用は1往復だけだったはずで、翌日の朝は客527を牽いて米子から出雲市へ戻ってくる途中のはずです?!海が線路右に見えてますから上り客車列車であることは間違いなく、普通なら翌日の客527を牽いて出雲からは浜田まで単機回送になる運用を、なんらかの理由で昨日のうちに浜田まで戻ったとしか考えられません??客527は休日運休なのでこれが絡んでいると思われます。
1973/8 山陰本線 仁万→五十猛 客544 C575 クリックすると大画像で見ることが出来ます
海が少ししか写っていないのが残念ですがC575の煙を吐く姿を撮れたことはラッキーです。
山陰本線1日目の締めは三保三隅駅でのD51の牽く客車列車の交換シーンです。まずは下関から6時間走って来た上りが到着です。到着ですが18時半近くようやく煙を吐いてくれました。
D51558は長門の罐で74年6月に廃車になっています。
1973/8 山陰本線 三保三隅 客828 D51558 客833 D51409 クリックすると大画像で見ることが出来ます
下り列車もなんとか煙が出て山陰本線1日目も最後になんとかまともな写真を撮ることが出来ました。
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