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2020年11月20日 (金)

新SL現役時代のアーカイブ(後藤寺線その1)

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 1973/12 後藤寺線 筑前庄内→船尾 貨583 9600 クリックすると大画像で見ることが出来ます

 最後の筑豊本線を撮った日、午後から後藤寺線を訪れています。お立ち台の中元寺川橋りょうではなく、筑前庄内と船尾の間のサミットで、ここは1日1往復の9600の牽く貨物しかありませんでしたが、33‰の急勾配区間です。
 眺めの良い丘の上で待ちましたが、荷はトキ1両でしたが、バックでゆっくり33‰を登る9600のチッチッチッと山々に響き渡るブラスト音は忘れられません。この時代車掌車がついていない貨物列車は珍しかったです。

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 1973/12 後藤寺線 筑前庄内→船尾 貨583 9600 クリックすると大画像で見ることが出来ます

 バックは現在はゴルフ場が広がっているようです。

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 1973/12 後藤寺線 筑前庄内→船尾 貨583 9600 クリックすると大画像で見ることが出来ます

 田園地帯を抜けて山岳部に入ります。バックの山は禿山でしょうか?

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 1973/12 後藤寺線 筑前庄内→船尾 貨583 9600 クリックすると大画像で見ることが出来ます

 トキのおかげで9600の顔も見えます。「遥かなる後藤寺線のサミット」とても印象に残っています。その後再び筑豊本線に戻ります。

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コメント

初めてコメント致します。
福岡で生まれ育ち、SL好きなところ、@niftyニュースで記事を拝見しやって参りました。

禿山は、入会地の草刈山ではないかと思います。
昭和40年代初頭頃までは、農家では、牛や馬を飼い、牛馬耕、牛や馬を動力として田畠を耕すことをやっていました。その牛馬を飼うためには、大量の草が必要でした。そのために集落の近隣の山を共同所有・共同利用の入会地を設定し、その入会地を草刈山とし、牛馬飼育のための牧草を育てていました。
しかし、農業の機械化などにより、牛馬耕は廃れ、農家が牛馬を飼うことはなくなると、入会地・草刈山は不要となりました。その結果、入会地は分割されて個人所有となり、杉桧などが植林されるようになります。

投稿: 金剛兵衛尉 | 2020年11月20日 (金) 11時13分

金剛兵衛尉様

 貴重なコメントありがとうございます。
 山全体が禿げているので不思議で気になっておりました。そういう歴史があったことをはじめて知りました。
 50年前の写真は汽車はもとより風景や人々の暮らしが映り込み、いろんな歴史を知ることが出来ます。
 勉強になりました。ありがとうございます。

投稿: 堤防 | 2020年11月20日 (金) 12時31分

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