新SL現役時代のアーカイブ(筑豊本線その21)
1971/12 筑豊本線 直方 客1741 C5552 クリックすると大画像で見ることが出来ます
汽笛をあげて発車です。
1971/12 筑豊本線 直方 客1741 C5552 クリックすると大画像で見ることが出来ます
発車は何故か控え目な煙でした。
1971/12 筑豊本線 直方 客1741 C5552 クリックすると大画像で見ることが出来ます
冷水峠を越えて原田まで走ります。
1971/12 筑豊本線 直方 客1741 C5552 クリックすると大画像で見ることが出来ます
1両目のナハ11(ナハ10?)ですが、急行と11号車の札を付けているのですが、行先のサボがありません。2両目はアルミサッシ化された43系客車なのですが、急行と号車札は無く、行先のサボはついているようです。門司配置の客車ですが、急行列車の合間運用でしょうか?しかし原田まで行くとこの日は筑豊本線で門司に帰れません。また定期の急行では九州内は11号車まである列車はなく、名古屋、大阪から来る夜行を見ても11号車が門司で切り離される列車はないようです。臨時急行までは編成がわかりませんが、謎の客車を牽くC5552でした。
DD51763さまからのコメントでこの客車の謎が解けました。
筑豊本線ですから当然急行天草が怪しかったのですが、私の手元にあった時刻表が72年3月15日のダイヤ改正後のもので、その改正で天草の寝台車が1両追加され編成が変わっていました。当時は11~13号車が門司で切り離され、そのうち11号車が筑豊本線沿線からの乗客の為に飯塚まで回送され、門司からではなく飯塚から増結されることがわかりました。この改正でC55は吉松に転属するのですが、筑豊本線の列車番号も変更になっており、当時は客1735であったこともわかりました。
たかがC55につながる客車1両ですが、この当時の飯塚、直方の繁栄を物語る歴史がわかり、本当にありがとうございました。
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コメント
いつも、筑豊のSL楽しみにしております。
C5552の次位のナハは、天草の増結車両です。本来門司から3両増結して、京都に向かうのですが、客1735レの次位に1〜2両のナハ11が、よく繋がれていました。
飯塚で切り離され夜の飯塚で列車の前に増結されます。冷水峠を超えて来たDD51に牽かれた10両の客車の先頭に増結されていたはずです。それで11号車の札が入っていると思われます。列車の前では、増結作業、後部では、補機のD60の解放作業も行われていたはずです。
本文では、客1741レになておりますが、1735レが正解です。
投稿: DD51763 | 2021年2月27日 (土) 22時50分
DD51763さま
大変貴重なコメントありがとうございます。おかげさまで謎が解けました。確かに天草が一番怪しかったのですが、実は手元にあったのが72年3月15日のダイヤ改正後の時刻表で、この改正で天草も1両寝台車が増えて編成がかわっていました。時刻表では門司から増結でしたが、筑豊本線からのお客様サービスで、実際には飯塚から増結される車両があったということですか。当時の列車はみな満員で熊本から来る自由席は既に満席ということも多かったと思います。炭鉱の中心であった飯塚が繁栄していた証ですね。
投稿: 堤防 | 2021年2月28日 (日) 08時28分