野鳥との再会の地
私の野鳥との出会いは、小学生の頃でした。当時、ドブ川だった善福寺川の浄化が始まり、放流された魚を狙って夜な夜なゴイサギが飛来していることを投稿したところ、杉並区の広報に掲載されたのがきっかけです。
三重の田舎では、周囲の水田にハトのような見慣れない鳥がいて気になっていましたが、それがケリだと知ったのはかなり後になってからでした。
中学生の頃には、隣家が空き家となって柵で囲われ、草ぼうぼうになっていましたが、そこへフクロウの若鳥が住み着きました。「フクちゃん」と呼ばれ、近所の人が餌を与えたり、夕方になると近くの病院の広告塔のてっぺんで鳴いたりして、ちょっとした人気者になっていました。
生き物はもともと好きで、中学時代は生物部に所属していましたが、この頃はまだ野鳥を専門に観察するというほどではありませんでした。
一方で、中学・高校時代はご存じのとおり、現役蒸気機関車の撮影に明け暮れていました。しかし高校時代、生物部に野鳥好きの女性の後輩が入部し、セキセイインコなど飼い鳥の野生化問題を調べることになったのをきっかけに、野鳥との本格的な付き合いが始まりました。
高校3年生の生物部の合宿は戸隠で行われ、そこで初めて「探鳥」という言葉を知りました。そしてその頃から、不思議なことに蒸気機関車への熱は急速に冷めていったのでした。
高校時代、学校の裏山でサワガニを探していた時に声をかけてくれたのが、大学の野鳥の会の方でした。
大学に入ると野鳥の会に入り、本格的に探鳥をするようになりました。北は北海道から南は沖縄まで、特に珍しい鳥が見られる離島に魅せられ、伊豆諸島、小笠原、舳倉島、対馬、奄美大島、南西諸島などを巡り、年間100日以上を野鳥の観察に費やしていました。
当時、日本で記録されていた野鳥は550種類ほどでしたが、大学卒業までに430種類ほどを観察することができました。
なかでも忘れられないのは、当時もっとも親しまれていた図鑑『日本の野鳥』の著者である 高野伸二 さんと一緒に対馬で見たヤマショウビンです。
就職直前の春休みには与那国島で、当時まだ日本で公認されていなかったカラフトムジセッカを発見し、何とか写真も撮影しました。しかし写真が不鮮明だったため記録として認められませんでした。その悔しさから、初めてもらったボーナスで当時56万円もした Nikon 800mmレンズ を購入しました。しかし、それが結果的には珍鳥追いとの別れのきっかけになりました。重い三脚と超望遠レンズを担いで歩き回り、珍鳥の情報が入れば大砲レンズがずらりと並ぶ──そんな探鳥スタイルは、どうしても自分の好みではありませんでした。
鳥そのものが嫌になったわけではなく、珍鳥を追い求めることよりも、自然の中で鳥たちの暮らしを静かに観察することの方が、自分には向いていると気づいたのですが、
20代後半になると仕事が忙しくなり、鉄道も野鳥も次第に私の趣味の中心から外れていきました。
それでも、自然の中のログハウスで暮らすことは長年の夢でした。当時はログハウス専門誌『ウッディライフ』を毎号のように読んでいました。
持ち家のローンもあり、貯金もほとんどありませんでしたが、リーマンショック直前の好景気で支給されたボーナスで購入したのが、今住んでいる長野県上水内郡信濃町の家です。
戸隠は我が家から飯綱山・霊仙寺山を経てつながっており、初めて本格的な探鳥をした場所でもあります。不思議な縁を感じます。
当時、別荘選びの条件は「庭に川があること」でした。たまたまインターネットで見つけた小さな不動産屋の物件情報がなければ、今の私はなかったでしょう。その家は10年以上も人が住んでおらず、ログハウスは荒れ果て、庭を流れる川も草に埋もれていました。しかし数年後、その敷地には野鳥たちが好むミズキやツルマサキが自然に生えていることを知りました。
当時は気づきませんでしたが、私は知らないうちに、再び野鳥たちと出会う場所を選んでいたのかもしれません。
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