« 我が家で観察された哺乳類(ネズミ類他) | トップページ | Nゲージレイアウト製作記② Nゲージ蒸気機関車の沼 »

2026年7月17日 (金)

Nゲージレイアウト製作記① 鉄道模型との出会い

 突然ですが、コツコツと製作を続けてきたNゲージレイアウトの線路敷設が、ようやくほぼ完了しました。
一つの区切りを迎えたこともあり、これからはこのレイアウトについても少しずつご紹介していきたいと思います。

Dsc_9477x_20260716164401
 2026/7/16 DF50と軽量客車 クリックすると大画像で見ることができます

 私と鉄道模型との出会いは、やはり青いレールのプラレールでした。最初に買ってもらったのは「プラスチック
夢の超特急」、続いて「電動超特急ひかり号」でした。青いはずの0系新幹線がなぜか赤い車体だったこと、そして
先頭車よりも中間車が好きだったことを今でも覚えています。

 ほぼ同じ頃、家にはOゲージもありました。カツミのEB58やBタンク、湘南色の電車、2軸客車などがあり、3線
式の線路の上を走っていました。モーターから漂う少し焦げたような独特の匂いだけは、今でも鮮明に記憶に残って
います。

 HOゲージを始めたのは、小学5年生頃、現役蒸気機関車に興味を持ち始めた時期でした。父が買ってきてくれた
『鉄道ファン』1969年12月号別冊の撮影地ガイドと、一冊の『TMS』がなければ、今こうして鉄道ブログを書くこ
ともなかったかもしれません。
 最初に我が家へやって来たHOゲージは、カツミの165系急行電車でした。最初は金属道床レールのエンドレスを
ぐるぐる走らせるだけでしたが、阿佐ヶ谷の「トモエ模型」のショーウインドウに並ぶHOゲージを外から眺めるの
が何よりの楽しみでした。
 その後やって来たのがダイヤモンドシリーズのC62で、客車は宮沢模型のスハ44、スハ43、スハフ42でした。
毎日のようにC62を走らせていたため、1年余りでウォームホイールが摩耗して走れなくなってしまいました。当
時のシュパーブラインC62は、大卒初任給の半月分ほどもする高嶺の花で、とても子どもの手が届くものではあり
ませんでした。いつかはシュパーブラインの蒸気機関車で機関庫をいっぱいにする――それが当時の夢でした。
 その後、蒸気機関車はカワイのC11タイプ、宮沢模型のD50が加わりました。中学生になると、憧れだった天賞
堂のEF58とオユ12を手に入れ、その美しい塗装に感動したものです。
 その頃からキット製作にも熱中し、小高模型のペーパーキットで客車を作り始めました。憧れの20系客車はナハ
ネフ23だけをカツミ製で手に入れ、残りは小高模型のペーパーキットで少しずつ製作していきました。
 さらに珊瑚模型がオリジナル製品を発売し始めると、方南町まで自転車で通うのが日課となり、9600やDD14の
キットを手に入れました。最後に製作したのはトビーのC12で、ロストワックス部品を数多く取り付けたものの、
結局塗装までたどり着くことはありませんでした。

 しかし、高校生になる頃には、現役蒸気機関車への情熱と同じように、興味は次第に異性へと移り、鉄道模型は
押し入れの中で眠るようになりました。

 やがて実家を離れ、久しぶりに帰省したときには、母が蒸気機関車の写真や本、鉄道模型をすべて処分してしま
っていました。

 そして20年の歳月が流れます。子どものクリスマスプレゼントを買いにおもちゃ屋へ立ち寄ったとき、かつては
まだ玩具に近い存在だったNゲージが、驚くほど精密に進化していることに衝撃を受けました。その場でKATOの
軽量客車セットとTOMIXのDF50を、自分へのプレゼントとしてこっそり購入したことが、私のNゲージのスタート
となったのです。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道模型 Nゲージへ
にほんブログ村 Nゲージ

|

« 我が家で観察された哺乳類(ネズミ類他) | トップページ | Nゲージレイアウト製作記② Nゲージ蒸気機関車の沼 »

鉄道模型 全般」カテゴリの記事

コメント

始めてコメントさせていただきます。レイアウトの完成、心待ちですね。この記事の中で、阿佐ヶ谷のトモエ模型が気になりました。以前は中杉通りの真ん中にありましたが、末期には阿佐ヶ谷駅の近くに住宅街に移転されました。ここのご主人には、親子ともにお世話になっておりました。大学が終われば、自宅ではなく、トモエ模型さんへ向かい、閉店までああでもないこうでもないと雑談と店番の日々でした。
閉店後は、ご主人に焼き鳥屋や、町中華に連れて行ってもらったことを懐かしく思い出しました。
私の結婚の時にも、ご主人ご夫婦に仲人を頼んだことも思い出でした。こんなご縁があったとは、と、私も磐越西線へ出かけておりますので、沿線で行き合いましたらよろしくお願いいたします。
因みに、グレーのプリウスで出かけております。

投稿: 林 正彦 | 2026年7月18日 (土) 14時36分

林正彦様

コメントありがとうございます。
私は就職するまでは成田東に住んでいましたが、トモエ模型が移転してからのお店には行ったことがありませんでした。
ご主人ご夫妻に仲人をお願いされたとのこと、ご主人のお人柄を思うと、なるほどと納得しました。
私がトモエ模型に通っていたのは、小学5年生から高校1年生くらいまで(1970~1975年)です。天井まで積み上げられたプラモデルが今でも懐かしく思い出されます。また、ショーウインドウに飾られていた鉄道模型社のキハ58にはずっと憧れていましたが、中学生の私には手が届かない存在でした。
実は、ばんえつ物語つながりで、トモエ模型に通われていた先輩がもう一人おります。不思議なご縁を感じます。
いつか沿線か、あるいは模型屋談義でもしながら、昔話に花を咲かせられたら嬉しいです。

今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 堤防 | 2026年7月18日 (土) 16時53分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 我が家で観察された哺乳類(ネズミ類他) | トップページ | Nゲージレイアウト製作記② Nゲージ蒸気機関車の沼 »